飯田未希(いいだ・みき)/1971年、奈良県生まれ。立命館大学政策科学部教授。ニューヨーク州立大学バッファロー校修士号(女性学)、博士号(社会学)。専攻は社会学、文化研究、ジェンダー論。論文に「パーマネント報国と木炭パーマ」など(撮影/写真部・加藤夏子)
飯田未希(いいだ・みき)/1971年、奈良県生まれ。立命館大学政策科学部教授。ニューヨーク州立大学バッファロー校修士号(女性学)、博士号(社会学)。専攻は社会学、文化研究、ジェンダー論。論文に「パーマネント報国と木炭パーマ」など(撮影/写真部・加藤夏子)

 AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。「書店員さんオススメの一冊」では、売り場を預かる各書店の担当者がイチオシの作品を挙げています。

 戦時下でもパーマをかけモンペを拒否した女性たちがいた。飯田未希さんによる『非国民な女たち 戦時下のパーマとモンペ』では、非国民と謗られても個人の美意識を守ろうとした人々、当時の社会背景を豊富な資料から論考する。著者の飯田さんに、同著に込めた思いを聞いた。

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 戦時下の女性といえば、まとめた髪とモンペ姿が思い浮かぶ。だが飯田未希さん(50)が本書で取り上げるのは空襲を避けながら防空壕でパーマネント(以下、パーマ)をかけ、「モンペは恥ずかしい」と嫌がる女性たちだ。「贅沢は敵」とされた戦時下でも多くの女性がパーマや洋装美を求めていた。なぜ女性たちはパーマをかけたがり、装うことをあきらめなかったのか。

「1937年に日中戦争が始まると、総動員体制のもと、女性の外見が社会問題として取り上げられるようになりました。パーマをあてたり、最新流行のスカートや豪華な和服を着たりする女性が『享楽的』だとして、メディアや婦人団体から名指しで批判されるようになったのです。指導者層が決めた外見のルールに従うことは、目に見える服従の証しでした」

 最近でも女性へのハイヒールの強要や厳しすぎる校則が問題になったが、外見に関するルールは「社会の中で強い集団が弱い集団に対して下すもの」と、飯田さんは言う。

「調べてみると、戦時下といっても女性にもいろいろな人がいたとわかってきました。たとえば43年の大日本婦人会の大会で『パーマネント絶対禁止』が決議されています。たび重なる反対運動にもかかわらず、43年になってもまだ、パーマの流行は続いていたのです。洋装も同様で、国が定めた標準服は普及せず、モンペも不人気でした」

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