だが、就職では苦労もした。選手としての進路はなく、自力で就活をしたが2次選考で落とされた。帝京大の監督の言葉を思い出した。「日本は学歴社会。社会に出たら早慶明とは露骨に差別される。でもフィールドの上なら戦えるんだ」──会社に入ってしまえば横並びだ。「絶対に負けるもんか」。ハングリー精神が生まれた。

 契約社員として入社したリクルートで、無料クーポンマガジン「ホットペッパー」の営業を担当。新規の顧客を10カ月で1277件獲得し、社内ギネス記録を達成した。社員に登用され、幹部候補として進んでいくなか、「別のなにかを見つけたい」という思いが生まれてきた。

 きっかけは研修で上海を訪れたことだ。南京事件の現場を訪ね、自分が学んできた歴史との違いを痛感した。異国の地で悪戦苦闘する駐在員を見て「自分はぬるま湯につかっている」とも感じた。「もっと社会に対して何かできることはないか」。不思議な使命感のようなものが頭をもたげてきた。

 2011年の東日本大震災のときには、付き合いのあった飲食店オーナーたちを束ねて、宮城県名取市に食料を運んだ。農家で売れ残る規格外の果物を加工品にして地方創生を試みるなど、食や文化、地域に関わることを模索した。

 そんなとき知人から「コロンビア産のカカオは美味しいらしいよ」と聞いた。チョコレートに興味はなかったが、世界中を旅するなかで一度行ってみたかった国でもあった。13年に旅行を決めた。それがすべてのはじまりだった。(文中敬称略)

(文・中村千晶)

※記事の続きはAERA 2021年2月15日号でご覧いただけます。