ノーベル平和賞受賞者でありながら、このロヒンギャへの人権侵害を止めず、発言すらしないスーチー氏に対する世界からの批判の声と行動はその後、次々に起こった。18年11月12日にアムネスティ・インターナショナルはかつてスーチー氏に授与した「良心の大使賞」を取り下げることを発表。同年12月18日には、韓国の人権団体5.18記念財団もスーチー氏に授与した「光州人権賞」を撤回した。

 しかし、バングラディッシュの難民キャンプに暮らすロヒンギャの人々の反応は異なっていた。もちろん、自分たちに対する迫害に対して無関心を装うスーチー氏に落胆の色は隠さず、批判もするが、彼女が棚上げされた立場にあることを理解していた。メガキャンプのクトゥパロンで世話役を担うシェカマという80歳の長老はスーチー氏に対して、失望は表しつつも想像以上に寛容な姿勢を示した。

「与党ではあるが、スーチーが党首の国民民主連盟(NLD)に力はないのだ。私はスーチーはさほど悪いとは思わない。国家最高顧問職は軍も警察も掌握できず、ミャンマー軍の支配に脅されている」

■側近の暗殺で震撼

 かつて軍事政権に軟禁されていた人物が最高顧問に就いたことから、ミャンマーは民主化されたとさかんに報道された。なるほど、以前のようにジャーナリストや人権派弁護士が入国を規制されたりすることはなくなった。NLDの支持者もそうアナウンスしていた。しかしロヒンギャの惨状を見れば、そして憲法を吟味すれば、軍政が温存されていることは一目瞭然であった。シェカマは親族を殺されていたが、冷静に分析していた。

「彼女がロヒンギャの名前を出せばウコーニーのように殺される可能性がある。それもわかっているのだ」

 ウコーニー氏とはイスラム教徒の弁護士でNLDの法律顧問であった。前述した通り、新憲法下ではスーチー氏は国家元首にはなれない。ここに最高顧問という地位を作って就かせたのがこのウコーニー氏であった。NLD支持者が慕う人望や求心力も併せ持っていた。しかし、17年1月29日、ウコーニー氏はヤンゴンの空港で暗殺されてしまう。逮捕されたのは窃盗の前科がある人物だが、政治的な背景はなく、やらせたクライアントは国軍と見られている。「何か言えば、次はお前だぞ」。信頼する側近の暗殺というメッセージはスーチー氏を震撼させ、沈黙をさせるに十分だった。

 現在、ロヒンギャ難民のスーチー氏への批判を一部切り取っての報道が散見される。だからと言って自分たちを追い出し、殺しにきた軍によるクーデターをロヒンギャ難民が支持するはずがない。これらの報道は問題の本質を矮小化する。主語を明確にするならば、ロヒンギャのジェノサイドを行ってきたのは国軍である。

 スーチー氏の解放を多くの国や市民が訴えている。真の民主化を望むならば、次回解放は時限爆弾のセットであってはならない。(ジャーナリスト・木村元彦)

AERA 2021年2月15日号