翌朝。あさくらさんが「この十数時間で、みなさんそれぞれの推しのことを十分に知ることができたと思うので、一言ずついただけませんか」と投げかける。「テヨンさんの話を聞いて、かわいらしい、繊細な部分を知った」、「2.5次元俳優としての本田さんしか知らなかったので、コンボイっていう存在を知って今後の自分の可能性に気づけた」など、「格闘技大會」らしからぬ和やかなコメントが飛び交った。後日、相手を否定しない配慮ではないかと問うと、「気遣いとかじゃなくて、本心です。あさくらは現にいま、NCT聴いてるもんね」「Hi−Fiも私もあの日以来、SEVENTEENの動画見てます」という答えが返ってきた。「エピソードを聞いたり動画で見たりすることで、自分が知らなかったポイントを聞いて、改めて興味が湧きました」

 18年に改訂された広辞苑第七版の「オタク」の項にはこう定義されている。「特定の分野・物事には異常なほど熱中するが、他への関心が薄く世間との付合いに疎い人。また広く、特定の趣味に過度にのめりこんでいる人」(一部抜粋)

 4人の女性は、「オタク」を自称するだけあって、熱中している対象に詳しいのは確かだ。だが、その興味や関心は広く開かれている。リアルでも、SNSなどのネット上でも、男女分け隔てなく軽やかにコミュニケーションをこなし、気配りもできる。現実も見えているし、己を客観視もしている。「他への関心が薄く世間との付合いに疎い」という印象は一切受けない。次に広辞苑が改訂されるとき、オタクの項目からこの文言は消えるのではないだろうか。そしてそんな新しいオタクこそが、経済をまわす原動力のひとつになりつつある。ファンダムの先にあるのは、このような「異種格闘技」なのかもしれない。(編集部・伏見美雪)

AERA 2021年2月8日号