■世界を一変させた一枚

 1951年ベトナム生まれ。ベトナム戦争の最中、AP通信カメラマンだった兄が取材中に戦死し、その後ウト氏は16歳で、AP通信に入社した。

「人々が毎日死んでいく。毎日が悲劇だった。私は、優れた写真が戦争を止められる、と信じ、兄に『あなたに代わって、私が写真を撮る』と誓った」

 その写真を撮る「決定的瞬間」は72年6月8日に訪れる。縄跳びをして遊んでいた少女ファン・ティー・キム・フックさん(当時9歳)がナパーム弾で全身をやけどし、村人と逃げ惑う姿をウト氏が撮影し、「戦争の恐怖」というタイトルで配信。多くの米新聞1面に掲載され、「ベトナム戦争に対する印象を米国内だけでなく世界で一変させた」(ウト氏)という。73年にピュリツァー賞を受賞した。

 ウト氏は、実はキム・フックさんの命を救うのにも手を差し伸べた。彼女を撮影した後、車に乗せ、40分かかって最寄りの病院に運び込んだ。キム・フックさんは「私は死ぬんだと思う」と言い、ウト氏もそう思った。満床を理由に他の病院に行くようにと言う医師に、彼はAP通信の記者証を見せ、こう言った。

「このカメラの中に、彼女の写真がある。彼女が死んだら、その写真が世界中に配信される」

 医師らは即座に、キム・フックさんに応急手当てをした。その後17回の手術を受けて回復した彼女は、反戦運動家となり、現在はカナダに在住している。

 ウト氏の写真は、「瞬間」を封じ込めてなお、ストーリーを伝えることが可能であり、それが人々や世界を変えられることを教えてくれる。(ジャーナリスト・津山恵子=ニューヨーク)

AERA 2021年2月8日号