坂本:ラーシェンがオスロ合意をなしえたのは、信頼し、一緒に立ち向かえる相手がいたからこそと思います。僕自身の人生で強いてそうした存在をあげるならジャニー(喜多川)さんでしょうか。ジャニーさんがいなければ、僕の人生は始まっていませんでしたから。それから(V6の)メンバーですね。グループの活動がなければ、こうして舞台に立つこともできなかったと思います。

——―24歳でデビューし、V6のリーダーとして25周年を迎えたグループを牽引してきた。ラーシェンと自身に、共通する部分はあるのだろうか。

坂本:ラーシェンと自分がまったくかけ離れているとは言えないですが、もし僕がラーシェンのような人間だったら、もっとV6のリーダーとして前に立っていたでしょうね。ずいぶん前から、「リーダーというのはただのニックネーム」と言っていますから(笑)。

 双方の意見を聞いて調整するという役まわりは、どちらかといえば井ノ原(快彦)ですね。僕はそういうタイプではなくて、できるのはメンバーみんなの意見を聞くことです。ただ、僕は常に「人に言う前に自分が動け」と考えている。今までも言葉で言うより、実際に動いてみることで、みんなに何かを理解してもらうことが多かったと思います。

——―舞台の稽古中は、「なぜか稽古場を出るのが最後になってしまう」という。その日できなかったことを次に持ち越すまいとする努力家だ。その結晶ともいえる抜群の歌唱力と演技力で高い評価を受けるが、20年はコロナの影響で出演予定の舞台が中止になり、舞台に立つことができなかった。

坂本:突然舞台がなくなって「え? そんなことがあるんだ」と。衝撃的で、不安というよりも、よくわからなかったんです。怒りもないし、悲しみとも違う。いろんなものが再開していくなかで、エンターテインメントは最後のほうになるだろうなと感じていました。でも、だからこそ、エンターテインメントの持つパワーを、自分のなかで勝手に感じていました。下向いていても何も始まらない。「何か自分にできることはないかな」と思い直したんです。

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