フリーは複雑な葛藤を表現した。「コレオシークエンスの時は『もう戦いたくないけれど、(味方を)守らなくてはいけない』という意味で戦うシーン」と解説した (c)朝日新聞社
フリーは複雑な葛藤を表現した。「コレオシークエンスの時は『もう戦いたくないけれど、(味方を)守らなくてはいけない』という意味で戦うシーン」と解説した (c)朝日新聞社
エキシビションでは、松任谷由実の名曲「春よ、来い」のピアノに合わせ優雅に舞った。フィナーレでは紀平梨花と一緒に片手側転を決めるシーンも (c)朝日新聞社
エキシビションでは、松任谷由実の名曲「春よ、来い」のピアノに合わせ優雅に舞った。フィナーレでは紀平梨花と一緒に片手側転を決めるシーンも (c)朝日新聞社

 昨年末のフィギュアスケート全日本選手権でコーチ不在にもかかわらず王者奪還を果たした羽生結弦選手。華麗で力強い演技は見る人に勇気を与え、王者はまた一つ壁を越えた。AERA 2021年1月18日号では、羽生選手が今シーズンのプログラムに込めた思いを語った。

【写真】エキシビションで優雅に舞う羽生結弦

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 みんなを笑顔にするショートとは対照的に、フリーは自己解放の場とした。心の奥にある「自身の葛藤」をいかに表現し、自身を救い、また葛藤する人々に寄り添うことができるのか。選んだのは上杉謙信を主人公にしたドラマ「天と地と」のテーマ曲だった。理由は、謙信に「共感」があったからという。

「彼の中にある、戦い方の考え方や美学など、価値観が似ているのかなと思うところがありました。犠牲があることへの葛藤だったり、最終的に出家された悟りの境地のようなところまで。僕自身が、戦っても勝てなくなったり、苦悩に駆られたり、また僕が1位になることで誰かの犠牲があることを感じながらやっていたので。今、この世の中、戦わなきゃいけないことがたくさんありますが、何かちょっとした芯みたいなもの、戦いに向かっていく芯みたいなものが見えたらいいなと思います」

 編集にも力を注ぎ、別の和風の音源から琴や琵琶の音を持ってきて織り交ぜた。これほどまでに、選手自身が編集に関わるのは異例のことだ。

 ショートで「明るく生きる力」を、フリーでは「悩みながらも戦う力」を伝える──。使命をまとい迎えた全日本選手権。320日ぶりにファンの前に姿を現した。黒のライダースジャケットと黒革風パンツという新しいイメージの衣装。会場からは、声援でなく拍手が起きた。

「そういえば、声は聞こえないんだなあということを感じました。逆に(以前)新プログラムや新衣装を見たときに掛けてくださった声援を心の中で再生して、新しい応援の受け止め方をしていました」

 4年ぶりのロックに、観客は冒頭から手拍子でノッていく。力強い曲調のなか、冒頭の4回転サルコーも4回転トーループも、勢い余ってやや回りすぎの状態で着氷。それでもベテランの技術力でうまく流れを作り、高得点に繋げた。ショートは103.53点での首位発進。

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