■実感は危険より「共存」

 昨年秋以降、政府は感染拡大に直面していたにもかかわらず制御のための強い対策をとらず、「Go To」事業を中心とする経済対策を優先させた。年明けに緊急事態宣言へと重い腰を上げたが、それまでの間に「大丈夫」という誤ったメッセージが伝わった可能性は見過ごせない。だが一方で、私たちが求められている「想像力」とは何だったのだろうか。

 ヒントをくれたのは、元日本テレビディレクターの水島宏明・上智大学教授(テレビ報道論)だ。

 水島教授は2017年、上智大学と法政大学の学生たちによるドキュメンタリー映像作品の制作を指導した。その内容を著書としてまとめたものが『想像力欠如社会』(弘文堂)だ。10編のルポルタージュで、他人の痛みや苦境に対する理解が深まらない現代社会の人間模様が描かれている。

 制作を通じて学生たちに伝えたかったことについて、水島教授はこう説明する。

「メディアのニュースから伝わる情報は一面的で、今の社会は世の中のディテールが分かりにくくなっています。世の中は白か黒ではなく、ディテールも単純なものではありません。ドキュメンタリーの制作で、社会の現実は伝わってくるものとは少し違うということを知ってもらいたかったのです」

 私たちが直面するコロナ禍の社会に置き換えても、同じことが言えそうだ。水島教授も、感染者の苦しみや医療現場の逼迫状況について、詳細が正確に伝わっているのか疑問に感じていると言う。

「最近ではコロナの変異種もそうですが、危険が本当にどの程度あるのか、受け手側は切実には実感できていないのかもしれません。ある意味、逆にコロナと共存できるという実感の方を持ってしまっているのではないでしょうか」

■メディアの発信も問題

 共存可能という実感はいくつもの場面で行動に表れてくるから、批判を浴びる。

 イベントは中止されたものの、東京・渋谷のスクランブル交差点では年越しの瞬間にやはり若者が集まった。フランス西部の町・リユロンでは、大規模な集会や夜間の外出が禁止されている年越しのダンスパーティーに2500人が集まり、警察と衝突する騒動もあった。

 立正大学心理学部の高橋尚也准教授は、コロナの危機にもかかわらず、こうして普段通りに生活しようとする人たちが出てくるのは、いくつかの理由があると考えている。

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