高校は進学校に進むも勉強に挫折。大学進学も半ば諦めていた時、「自分は絵が好きだった」と、思い出したように美大を志望した。両親や先生には反対されたが、すがるような気持ちで地元の予備校の美大コースに通い始めたという。

 この予備校で出会ったのが同級生の向坂文宏(こうさかふみひろ)だ。現在は桜美林大学准教授として、ビジュアルアーツの教壇に立つ。当時は共に17歳。揃って愛知県立芸術大学のデザイン・工芸科に合格した。

 大学時代の深堀はバンド活動に夢中だった。ギター片手によく歌を披露していた。常に人の輪の中にいて、学園祭では実行委員長も務めたという。
「みんなが助けたくなるリーダーでした。人柄でみんな安心して集まってくる感じです。裏表がないし、素直な自分の言葉でいつも話してくれる。そこは、今でも全然変わっていませんね」(向坂)

 デザイン科の枠に収まらなかった深堀は、音楽科のバンド仲間や、彫刻、油彩、陶芸など様々な専攻の学生と交流した。そんな時、現代美術というジャンルに出会う。「ここだ!」と直感した。現代美術なら、学校で習ったり、誰かに師事したりしなくても巨匠になれる。そこに夢を感じた。

 留年し、2度目の4年生をやっていた時のこと。準備万端で、夏休みから卒業制作を始めた。作っていたのは、廃材のモーターなどを組み合わせたオブジェ。ところが、いくら真面目に作っても、「つまらない」と気付いてしまったのだ。

「全部捨てたれ!」。作品を廃棄するという暴挙に出た深堀に、教授陣は激怒。締め切り1カ月前に陥った大ピンチ。その時だ。以前制作に使った残りの、ちっぽけな木の枝が目にとまった。

「その木のうねりが、魚の背骨に見えた。そこからピーンと来て。とんでもない爆発力で『これだー!』と思って、わーって作り出したんです」

 初めての感覚。「これがアートだ」と感じた。出来上がったのは全長5メートルの巨大な魚の骨。

 完成後に気づいた。そういえば自分は昔から魚釣りが好きで、水中の世界に憧れや畏怖の念を抱いていた。人間と魚の間に横たわる“境界線”を越えてみたいと思った。この時作った魚が、「金魚」だと深堀が気付くのは、5年先のことになる。

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