蒲生さんが妄想鉄を始めたのは中学1年の時。幼稚園の頃からローカル線への憧れがあったが、ある日、部活動で関越自動車道を車で移動している時に見下ろした東武東上線が単線だったのに驚いた。関東の大手私鉄の基幹路線でも、山を目指し単線で走るところがあるんだ──。

 そこから、東京を北上し埼玉県の山中に向かう鉄道の妄想が始まった。社会人になっても妄想熱は冷めず、関東地方を舞台に鉄道を妄想していった。

 奥武鉄道が「できた」のは10年ほど前。実在の土地の上に線路を敷き、実際の地名や駅名を多く採り入れた。関東から南東北にかけ路線を巡らせたのは、緯度の関係で東京から北に行くと季節の移り変わりを感じられるからだ。

「架空の鉄道ですが、地形や地名まで架空にすると、実際に走っている他社線との比較ができず車窓からの風景も思い浮かべられなくなります」(同)

 リアリティーにもとことんこだわった。奥武鉄道には峠越えの路線が多いが、列車が急勾配を登れるかどうか国土地理院の地図で一つ一つ勾配を確かめながら線路を敷いていった。さらに、全時間帯の時刻表、ダイヤグラム、全車両の運用表までつくりホームページで公開していった。運用表は車両の時刻表上の列車への割り当てや車両のやりくりに欠かせないものだが、運用表まで「妄想」する妄想鉄はまずいない。3年前に公開すると、ファンの間で驚きの声が上がった。

「列車は朝出庫し夜入庫した際、同じ場所に前日と同数が戻る配置になっていなければいけません。そのために必要なのが運用表。全線の車両運用表をつくるのに半年かかり、視力が落ちました(笑)」(同)

 鉄道ジャーナリストの松本典久さん(65)によれば、昔から時刻表をひもとき架空の旅を楽しむなど妄想鉄はいたが、いま妄想鉄が増えているのは表現手段が広がったのが大きいと見る。

「かつてその表現方法は、文章や絵画、あるいは写真や地図、図面などで構築し、さらに鉄道模型として3次元化することもありました。それが今ではリアルなホームページをつくるといった手法が加わり、より楽しみが広がったと思います。この楽しみは、頭の中で空想するだけでなく、いろいろな手法で表現することも可能です。そして表現されたものを通じて自分以外の人にもその魅力を伝えていくことも楽しみとなるでしょう」

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