牛島さんは沖縄の市民グループに協力し、講演などで折に触れて司令部壕の様子などを伝え、「沖縄の住民の立場にたった保存公開が必要」と訴えてきた。一方で「県外の人こそ、本土決戦の時間稼ぎのために行われた沖縄戦の真の姿を学ぶべき」だと強調する。

「第32軍は沖縄ではなく、本土を守る使命を負わされた部隊でした。守られた側、犠牲を強いた側である本土の人々こそが、沖縄戦でどんなことが起きたのかを知らなければならない。沖縄戦をめぐる沖縄と本土の認識ギャップは戦後75年を過ぎてもまだ続いています」

 太平洋戦争末期、米軍は沖縄攻略後に本土上陸作戦を計画していた。もし日本がポツダム宣言を受け入れず8月15日に敗戦を迎えていなければ、九州や関東地方でも沖縄戦と同じような民間人の4人に1人が亡くなる戦闘が繰り広げられていた可能性があった。牛島さんは言う。

「いまここにいる私たちの何割かはこの世に存在しなかったかもしれない。75年前の沖縄戦は遠い沖縄で起きた戦闘ではなく、自分たちの存在にかかわる出来事だったということを学ばなければなりません」
(編集部・渡辺豪)

AERA 2021年1月11日号に加筆

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渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

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