「ホロコーストの記憶は、1970年代頃まではハンガリーの人々にとって大きなトラウマであり、人前で口にすることもはばかられることだった」とトート監督は言う。

 変化の兆しが見えたのは90年代に入ってから。99年に政府が「ホロコースト・メモリアル・センター」を設立したこと、アウシュヴィッツに送られた過去を『運命ではなく』で描いたケルテース・イムレが2002年にノーベル文学賞を受賞したことをきっかけに、人々は少しずつホロコーストについて話すようになったのだという。

 せりふをそぎ落とした映像には、怒りや復讐(ふくしゅう)といったわかりやすい感情では発散できないほどの悲しみが宿る。トート監督自身、チャールズ・チャプリンの作品のような悲しみとおかしみが共存する作品に影響を受け、映画をつくり続けてきた。

 主にブダペストで撮影をしたという街並みもまた、この国の歴史そのものであり、登場人物たちに優しく寄り添っているように見える。

◎「この世界に残されて」
16歳の少女クララと42歳の医師アルドは寄り添い合うことで、人生を取り戻そうとする。全国順次公開中

■もう1本おすすめDVDイーダ」

「この世界に残されて」を観て、すぐに頭に思い浮かべたのがポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ監督による映画「イーダ」(2013年)だ。どちらも主人公は、心と体が変化する過程にある10代の少女。沈黙はときに言葉以上に雄弁だ、と思わずにはいられないほど、どちらもせりふを排除したうえで、登場人物たちの佇(たたず)まいや表情で観客に感情を伝えることに成功している。

 舞台は1960年代初頭のポーランド。孤児として修道院で育った少女アンナは、初めて会った叔母から自分の本当の名は「イーダ」であること、そしてユダヤ人であることを知らされる。なぜ両親は自分を捨てたのか。自身の出生の秘密を知りたい、とイーダは叔母とともに旅に出る。

 フレームのなかに余白を残した美しいモノクロの映像は、観客に想像する余地を与え、豊かさをもたらす。パヴリコフスキ監督は、「COLD WAR あの歌、2つの心」(18年)でも、その実力を遺憾なく発揮し、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞している。ハンガリー映画とポーランド映画。どちらも近年国際映画祭で再び脚光を浴びている、というのもまた、共通している。

◎「イーダ」
発売元:マーメイドフィルム
価格1800円+税/DVD発売中

(ライター・古谷ゆう子)

AERA 2020年12月28日-2021年1月4日合併号