だが、アルバムは全曲バカラックの書き下ろし。バカラックの新曲ばかりが聴ける作品としては2005年の「At This Time」以来だが、そこから15年が経過しているとは思えないほどバカラックの曲は洗練されていてみずみずしい。

 何よりバカラックお得意のピアノが生かされた曲が多い。1曲目「ベルズ・オブ・セント・オーガスティン」からその切ないメロディーに寄り添うようなピアノの音色がバカラック節とも言えるセンチメントをかきたてる。バカラック往年のヒット曲に思い入れのあるファンには嬉しい1曲だろう。

 一方、「ウィスリング・イン・ザ・ダーク」はR&B調のゆるやかなリズムがコンテンポラリーなフュージョン・スタイルを喚起させる。バカラックは昔からストリングスやホーンを用いたアレンジにもたけているが、まさにその「ウィスリング」のエンディングは現代音楽的なシャープなストリングス。若い時代にジャズを聴きこんできた経験が、コード進行やちょっとしたアレンジに生かされているのも全盛時代と全く変わらない。

 誰の心にも響くような美しくもメランコリックな旋律を基調としつつ、ポピュラー音楽の可能性をしっかり広げていくような挑戦も怠らない。これが92歳の仕事なのかと改めて舌を巻く。惜しむらくは、全曲とは言わないものの、自らの歌も少し聴かせてほしかったところ。92歳で作曲・編曲・一部のピアノ演奏……とここまで関わって作品を作っただけでもスタンディング・オベーションものだ。だが、彼のコンサートで時折聴かせる、その奥ゆかしいボーカルに心引かれてきたリスナーの一人としては、もちろんダニエルの素晴らしい歌声に申し分はないが、バカラックの声も聴きたいと思ってしまう。

 そういえば、バカラックをリスペクトする日本人ミュージシャンの一人、元ピチカート・ファイヴの小西康陽も「ライブでほんの少し歌うバカラックの歌がいいんだよね」と話していた。そして、まさにそんなバカラックの素朴な歌さながらに、小西は最近のライブで自らマイクを握っている。今年はそんな小西の歌ものライブアルバムもリリースされた。

 しかし、このアルバムにはそれでもバカラックの「歌心」がしっかりある。メロディーの中に、アレンジの中に、そしてもちろんダニエルの歌の中に、バカラックの「歌への思い」を感じることができるのである。
(文/岡村詩野)
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岡村詩野

岡村詩野

岡村詩野(おかむら・しの)/1967年、東京都生まれ。音楽評論家。音楽メディア『TURN』編集長/プロデューサー。「ミュージック・マガジン」「VOGUE NIPPON」など多数のメディアで執筆中。京都精華大学非常勤講師、ラジオ番組「Imaginary Line」(FM京都)パーソナリティー、音楽ライター講座(オトトイの学校)講師も務める

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