遊女たちがなぜ放火したのか、という経緯について、彼女たち自身が書いた日記が裁判調書として残っている。「書く」ことで今に伝わる遊女たちの思いを、ぜひ展示で見てほしい。

「1872年に維新政府は芸娼妓(げいしょうぎ)解放令を出し、新吉原のような性売買の独占といった特権を持つ町は解体されます。19世紀半ばに起こった世界的な人権擁護の高まりもあり、近代国家として人身売買と売春の強要を容認するわけにはいかなかったのでしょう」

 とはいえ、芸娼妓解放令の後も政府は「公娼制度」を維持する道を選ぶ。警察が管理していた記録によると、1910、20年代は都市部を中心に「大衆買春社会」とでも呼ぶべき状況が到来。30年代に入ると農村男性にも遊廓で女性を買う習慣が広がった。

「江戸時代の遊女たちは同情される存在でしたが、近代公娼制度では家の都合で身売りを強要された女性たちでも、娼妓たちは『自由意思で売春をする淫乱な女』と見られるようになりました。こうした見方は、現在にも続いていると思います」

 政治空間がどのように女性を排除していったのか──といった展示もある本展。最後に元厚生労働省事務次官の村木厚子さんが寄せた言葉を紹介しておこう。

「最近、『<悪い>と<良い>は両立する』という言葉が気に入っています。日本はジェンダーについては世界の劣等生ですが、ここ何十年かを振り返ると制度はどんどん良くなっています。今回の展覧会のように歴史を勉強すると、絶対的なものはなく、時代や制度を作ることによって物事が変わっていくのがよくわかる。公的な制度は現場の後押しをする形で生まれることが多いので、気づいた人からアクションを始めることが大切だと思います」

(ライター・矢内裕子)

AERA 2020年11月30日号