ヒトラーや軍隊が登場するシーンもある。戦争も監督の作品に欠かせないモチーフだ。


「私は1943年生まれで、戦争を体験しています。父も軍人でした。よく戦争について考えます。なぜ人は人にこれほど残酷なことができるのか。その思いは私のなかに常にあり、抜けることはありません」

 全体を覆うトーンはにび色で静謐(せいひつ)だ。どこか閑散として、人と人との間に距離があり、まるでコロナ禍の世界を予見したかのよう。しかし、作品にあるのは悲愴感ではなく、ほのかな希望のあたたかさだ。

「人はひとりでは力が足りない。でも、がんばっている。私はそのことを描きたい。私は世界に対して悲観的ではありません。私は基本的にすごく前向きな人間なのです」

◎「ホモ・サピエンスの涙」
“映像の魔術師”による5年ぶりの新作。11月20日から東京・ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開

■もう1本おすすめDVD「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」

 ロイ監督がインスピレーションを受けたというロシアの画家イリヤ・レーピン。劇中にある血を流して倒れる娘を抱く父親のシーンは、「1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン」という作品がモチーフだ。レーピンは近代ロシア絵画の代表画家で歴史画や肖像画を多く残している。その名を聞いて思い出したのが、「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」(2018年)だ。レーピンの絵画を巡るミステリーであり、深い人間模様も描かれている。

 フィンランドの首都ヘルシンキで小さな美術店を営む老美術商オラヴィは近年ネット販売におされ、店を畳む算段をしていた。そんなある日、オラヴィはオークションハウスで一枚の肖像画に目を奪われる。署名はないが「これは、あのレーピンの作品ではないか!?」と目利きした彼は、孫と調査を始めるが……。

 絵画の謎を探るスリル、問題児に見えて意外に商才がある孫と祖父のバディぶり、娘との親子の確執、名画を競り落とすオークションのハラハラ──と、二重、三重の奥行きがある。絵画マーケットの状況を憂いつつ、しかし時代が変われど変わらないものがある、と気づかせてくれる。

◎「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」
発売元:ニューセレクト 販売元:アルバトロス
価格3800円+税/DVD発売中

(フリーランス記者・中村千晶)

AERA 2020年11月23日号