■曖昧にしておく力がある 機が熟すまでは決めない

佐藤:私にも、そういうふうに見えるんですよね。だから今回の本は、その点が創価学会の人からしても、意外な面白さだったと思うんです。その中で見えたこととして、創価学会は池田大作氏を信仰の核心においていくという信仰体系がある。私はこれに全然違和感がないんですよ。キリスト教もそうですから、結局。

澤田:なるほど。ただ池田大作氏は存命でいらっしゃるというところが、私からするとイエス・キリストと一緒にしていいのかというのがあるのですが……。

佐藤:本来仏教の考え方だと、悟りっていうのは誰でも開けるわけだから。悟りを開いたんだったら、それは仏なわけだから。

澤田:そういう意味では私は、既存の宗教観に侵されているんでしょうね。宗教とはすごく過去に作られたものっていうイメージが、どこかにあるようです。

佐藤:あと、創価学会の面白さに、「曖昧にしておく力」があるんですよ。例えば信濃町に広宣流布大誓堂というのがあるんですが、これが他宗派でいう本山に相当する中心なのか中心じゃないのか、よくわからないんですよね。SGIも、会憲ができるまでは「創価学会インタナショナル」教という宗教であるとも、各国の創価学会のネットワークであるとも、どっちとも読めたわけなんです。「機が熟すまでは物事を決めない」っていう、中途半端にしておく力がすごくあるんですよね。

 それはやっぱり、池田大作氏の発想で、それが教団の集合的な意識を作っているんだと思いますよ。無理やり型にはめて「これで行かないといけない」ということになると、教義主導で、現実を切り捨てちゃう。わからないところはわからないままで、歴史に委ねるみたいなところがあるんですよね。

(構成/編集部・木村恵子)

AERA 2020年11月23日号より抜粋