塩田武士(以下、塩田):私は新聞記者を10年やっていましたが、記者時代は書けないことだらけでした。「これを書いたほうが伝わるのに」と思っても、いろいろな制約があって書けない。ジャーナリズムは事実を伝えていますが、実際に世に出る情報は「編集」されたものなんです。多くの事実は、この編集作業によって8割方カットされてしまう。だから、その残りの8割の部分を書くのが、小説家の役割だと考えています。私は、良いフィクションというのは、過去、現在、未来の軸が通っているものだと思います。時代の価値観の変遷や構造の変化といったものを、どれだけ身近に感じられるように展開できるかという点に小説の意義がある。作家が、過去、現在、未来に一本の軸を通すことで、バラバラだった情報が「生きた資料」となって後世に残っていきます。

星野:めちゃめちゃ考えてる!

小栗:塩田さんの話はやっぱ面白いね!

塩田:いや、お二人に比べて圧倒的に暇なだけですよ(笑)。でも、現代の作家が何を背負っているか改めて考えたときに、私は「情報」だと思うんです。かつて、松本清張や山崎豊子は「戦争」を背負っていました。私は現代の作家として「ジャーナリズム」を背負いたいと考えています。

■「その後」を歩む人の声

 新聞記者としての使命を背負う阿久津と、事件の「加害者」としての運命を背負わされてしまった曽根。正反対の方向から事件に引き寄せられ、歩みを共にするようになった2人は、やがてテープに声を録音された残りの2人の子どもたちの、悲しく壮絶な生涯を知ることになる。

 実際の事件でも、テープに録音された子どもの声が使われたが、もしも今、当時の子どもたちに会えたとしたら、3人はどんな言葉を交わしたいのだろう。

塩田:時間が許されるのであれば1カ月くらい話をしたいですね。小説を執筆したときも、実際に事件現場の周辺で聞き込み調査をしたのですが、調べるほどわからないことだらけなんです。だから何か言葉をかけるというよりかは、事実を確かめたい。そしてどんな人生を歩んできたのか、じっくり聞いてみたいです。

小栗:僕は……会えたとしても、たぶん何も聞かないと思います。もしも僕が、自分の声が吹き込まれたテープを見つけたとしたら、正直「なかったことにしたい」と思う気がするんですよ。真相に踏み込むのが怖いというか。そう考えると、当時の子どもが今、自分の目の前に現れたとしても、ほかの友人と同じように当たり前の会話をして、「会えて楽しかった」と思ってもらえるのがいちばんいいかなって。

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