「AIは直観ができないから人間は素晴らしい、という趣旨のことをこの本でも書きました。でも、結局は論理的な部分の方がすごいんじゃないかと思い、直観力を調べる意味を見失いかけたこともあります。だから、東大時代の5年間は迷走もしました。しかし、プロ棋士や強豪大学の将棋部員と接するうちに、『彼らはすごい』という気持ちが生じました。そして『尊敬』の念を抱くと脳の構造がどう変化するかなどを調べ始めたのです」

■人にあってAIにない

 今は「尊敬」の研究を通して「人」そのものに興味を抱くようになり自分自身のモチベーションも保てるようになった。

 AIは前後のストーリーと全く関係なく、局面ごとに最善手を考えて相手玉の行き場を奪う。脈絡も流れも関係なく、80手を枝葉までいくら読み込んでも疲れない。そこにあるのは結果だけ。鍋もない家で煮込み料理をポンと出されたようなものだ。レシピは完璧でも、作り手の顔が想像できない料理は味気ない。

 人には全員違う物語がある。棋士の技量を身につけるためのそれぞれの「1万時間」や、対局に至るまでに関わった無数の人たちの思いがぶら下がっている。

「トレーニングを1万時間やり込むためには、その前に興味を持つ必要がある。それが素質と言えるのかもしれませんが、憧れや尊敬の感情からその人を真似たいという思いが動機になることもあると思います。尊敬しやすい人とそうでない人では左の側頭極の構造や活動に差が見られるので、将棋部員の棋力と照らし合わせてデータ分析してみたいですね」

 中谷さんの意気込みに呼応するかのように、最近ベテラン棋士の奮起が目立つ。久保利明九段は永瀬拓矢王座(28)と王座戦で火花を散らし、羽生善治九段は丸山忠久九段(50)との同世代対決を制し、通算100期目のタイトルを懸けた竜王戦に臨む。

 彼らを刺激したのはAIではなく、急成長した藤井聡太二冠(18)への対抗心ではないだろうか。人の心を動かす将棋は、やはり面白い。(編集部・大平誠)

AERA 2020年10月5日号