■3代につながる思い

 それは17年3月、愛子さまが学習院女子中等科を卒業するにあたり、記念文集に書いた作文だった。タイトルは「世界の平和を願って」。修学旅行で訪ねた広島の思い出を綴ったものだが「旅行記」などではなく、一つの「平和論」になっている。

 卒業を控えた冬の日、ふと見上げた雲ひとつない空に、「なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう」と思ったという描写から始まる。そういう意識を持つようになったのは、広島への修学旅行で、「原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった」と愛子さま。そこから徐々に「平和論」になる。

 1600字に及ぶ長文なので、あとは中満さんが12日にアップしたツイートを引用する。

<「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくもの」「そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の『平和の灯』の灯が消されることを心から願っている」 両陛下に頂いた、愛子様の中学卒業文集「世界の平和を願って」より>

 美智子さま、両陛下、愛子さまと、「平和」への思いが3代につながっている。中満さんを通じ、そのことが見えた瞬間だった。そして陛下と雅子さまは、愛子さまへのバトンがこのようにつながっていることの証しとして、中満さんに作文を渡した。そう思えてならないのだ。

 戦争、そして平和への思い。それは上皇さまと美智子さまが平成という時代を通じ、追求したテーマだった。国内外の戦争の跡地を訪ね、真摯に向き合う姿勢に国民は打たれた。令和が始まるにあたり、このテーマをどう引き継ぐのか、引き継げるのか、気がかりだった。陛下と雅子さまと同世代だからだ。

 お二人同様、昭和30年代後半に生まれた一人として実感するのは、戦争は「学ぶもの」だということ。そこが昭和一桁生まれ同士の上皇さまと美智子さまと決定的に違う。

 19年、令和最初の全国戦没者追悼式での陛下のおことばは、前年の上皇さまとほぼ同じだった。それが20年、コロナ禍をきっかけに、一文が挿入された。戦後75年にあたる年に加わった「今後とも」という言葉。

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