演奏の中心にあるのはシンセサイザーだ。だが、80年代のちょっと懐かしい音作りを意識したものではない。2000年代以降、世界的に注目されてきたシンセ・ポップや、ダンス・ミュージック、クラブ・ミュージックの洗練された音作りを視野に入れていることがわかる。80年代のシティポップにこだわるわけではなく、それを現代の音楽として更新しようとしているかのようだ。

 それらを可能にしているのが、ムハンマドのソングライティング・センスだろう。親しみやすいリフやフレーズに逆らうことなく、自然に発展させてサビへとつなげていく。無理に難しいことにトライしたり、ひねったりすることなく歌を大切にする姿勢が、シンセサイザーのひんやりとした音を、ぬくもりにも変えて届けるのだ。もしかすると、ムハンマドが山下達郎や角松敏生、あるいはtofubeatsやシンリズムといった日本人アーティストから学んできたのは、サウンドプロダクションや音の質感以上に、こうしたソングライターとしての基礎なのかもしれない。

 SNSや動画サイトを通じ、世界中で同時にカルチャーを共有できる時代。誰もが簡単に曲を作っては投稿できるシステムが広く定着する中で、イックバルはあくまでも曲の良さ、歌の良さで地盤を固めているかのようにみえる。新型コロナの影響でインドネシアでもライブ活動などは制限されているという。そうした中でも、手軽に利用できるSNSでの発信をうまく採り入れながら、彼らは今もコツコツと「いい曲」を作る努力を惜しみなく重ねているのかもしれない。

 なお、日本盤にはRYUTistに提供した「無重力ファンタジア」のイックバル・ヴァージョン、脇田もなりをフィーチャーした「Cloudless Night」などボーナストラックが多く追加されている。改めて彼らのコンポーザーとしての力量を再発見したい。(文/岡村詩野)

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岡村詩野

岡村詩野

岡村詩野(おかむら・しの)/1967年、東京都生まれ。音楽評論家。音楽メディア『TURN』編集長/プロデューサー。「ミュージック・マガジン」「VOGUE NIPPON」など多数のメディアで執筆中。京都精華大学非常勤講師、ラジオ番組「Imaginary Line」(FM京都)パーソナリティー、音楽ライター講座(オトトイの学校)講師も務める

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