大林作品において、恭子さんが果たした役割は大きい。ほとんどの作品のキャスティングを監督と一緒に考え、スタッフの食事の世話までした。

大林:撮影現場には、最初から最後までいつもいます。十分ではない予算をいかに生かして映像を作るかで苦労しました。現場のスタッフ、キャストの食事も制作部で一緒に考え、長いロケの場合は、スタッフの健康管理の意味でも、何かおいしい食事を考えました。食事の時の笑顔はとても大切だと思っています。現場において、私は姉でもあり、妹でもあり、母でもあるのかなと思っていました。

 82年、尾道を舞台とした「転校生」が大ヒット。この作品以降、恭子さんはプロデューサーとしてクレジットされる。

大林:最初は躊躇しましたが、映画「HOUSE ハウス」以来、大林作品の美術を担当してくださっていた薩谷(さつや)和夫さんから「名前を出すということは、責任を持つということでもあるのですよ」と言われ、納得しました。

 今年7月17~30日、ニューヨークで開催された北米最大の日本映画祭「ジャパン・カッツ」では、「海辺の映画館」と共に、監督と恭子さんを描いたドキュメンタリー映画「ノンフィクションW 大林宣彦&恭子の成城物語~夫婦で歩んだ60年の映画作り~」も上演された。作品のなかで、大林監督が恭子さんに終始笑顔で「かわいいね!」と声をかける姿が印象的だった。

大林:大林との思い出は、大林作品全てと共にあります。最後の入院の時、亡くなる20日前のことです。私が「何か欲しいものはありますか」と聞いたことがございます。その時の監督の言葉は「笑顔と、生きること、明日をお願いね」でした。

(ライター・細木信宏)

AERA 2020年8月10日-17日合併号