淡い水色の外壁が美しい旧尾崎行雄邸。「移築から90年近いのに水平・垂直の歪みがほとんどない。しっかりとしたつくりで、よく手入れがなされてきたからでしょう」(頴原准教授)(撮影/編集部・大平誠)
淡い水色の外壁が美しい旧尾崎行雄邸。「移築から90年近いのに水平・垂直の歪みがほとんどない。しっかりとしたつくりで、よく手入れがなされてきたからでしょう」(頴原准教授)(撮影/編集部・大平誠)

 解体の危機に瀕している明治期の名建築を保存しようと、住民たちが動き出した。このような騒動の背景には、日本の文化財保護行政のお粗末さもあると専門家は指摘する。AERA 2020年7月20日号に掲載された記事を紹介する。

*  *  *

「憲政の神様」と称された尾崎行雄(1858~1954年)が愛妻のために建てた明治時代の洋館が、解体の危機に瀕している。築113年、移築先の東京都世田谷区で静かな時を過ごしてきた名建築を守ろうと、地元住民らが保存運動を始めた。

 尾崎は1890年の初当選以来、衆院議員を連続25期務めた。1903年から12年までは東京市長を兼任。米国に友好の証しとしてソメイヨシノ2千本を贈り、これをきっかけに始まった全米桜祭りは今なお毎年ワシントンDCで開かれている。

 東京市長時代は私生活も激動期で、前妻を亡くした翌05年、父が日本人、母が英国人の英子セオドラと再婚。英国育ちの後妻のために07年、港区麻布笄町(こうがいちょう)(現在の西麻布周辺)の和館に併設する形でこの洋館を建てた。しかし英国滞在中の32年にセオドラが病死し、売却。洋館は翌33年に世田谷区豪徳寺に移築された。700平方メートル超の敷地に立つ木造2階建ては、地域の名所として親しまれてきた。ところが6月、突然都内の工務店名で「解体のお知らせ」が掲示され、近隣住民を驚かせた。

「洋館にお住まいだったのは高齢のご夫婦と3人の娘さんたちで、仲良くお付き合いをしていました。ところが数年前にご主人が亡くなると、洋館の敷地内に道路を作りたいと、地権者に工事用私道の使用許可を求めて不動産業者が入ってきた。奥さんや娘さんたちとは話もできない雰囲気になり、6月に突然いなくなったと思ったら解体の告知があったのです」(近所に住む漫画家の山下和美さん)

 土地の登記簿謄本を見ると、洋館の敷地は細かく分筆されたうえ今年4月にこの工務店と関連会社に所有権が移っていた。

次のページ