JR各駅や列車内で駅弁を販売する業者の多くが加盟する「日本鉄道構内営業中央会」(以下、中央会)の事務局長・沼本忠次さん(73)に話を聞いた。自身も大の駅弁ファンだという。

「駅弁の発祥は諸説ありますが、1885年に宇都宮駅で旅館の『白木屋』が販売したのが最初と言われています。上野─宇都宮間に日本鉄道(現JR東北本線)が開通した際、鉄道当局の依頼で旅客向けに提供されました。梅干し入りのおにぎり2個にゴマ塩をまぶし、たくあん2切れを添えて竹の皮に包んだものでした」

 鉄道が全国に延伸し、長時間列車に乗ることが増えてくると、食事の提供が必要になる。1889年には、山陽鉄道(現山陽本線)・姫路駅で茶店「ひさご(現まねき食品)」が“幕の内スタイル”の弁当を売り出し、その後ウナギやアナゴ、アユといった地元の名産品を使った“特殊弁当”が登場した。

「戦後の高度経済成長とともに、鉄道も黄金期に入ります。国民の生活に余裕が出て旅行ブームが起こると、より付加価値の高い弁当が求められるようになり、事業者は駅弁の内容をさらに充実させました」(沼本さん)

 こうして駅弁は一気に多様性の道を歩むことになり、現在1500~2千種類にまで発展。見た目に色鮮やかで、冷めても美味しく食べられる駅弁は、日本独自の鉄道食文化となった。

 中央会は、全国89の事業者(2019年8月現在)で構成され、駅弁文化と旅客サービスの向上という目的に加え、重要な役割も担ってきた。

地震などの災害時に、食料を供給するんです。100年以上も地域に根ざした営業を続けてきた会社がたくさんあるので、蓄積してきたノウハウを役立てたいと。全国を19の地区に分けて、各事業者が連携して対応できるようにしています。東日本大震災でもいち早く食料を供給しました」(同)

 だからこそ、と沼本さんは力をこめる。

「駅弁の誕生から現在までの135年の歴史の中で、いまが一番苦難のとき。でも、これまでも駅弁屋は手を替え品を替え、創意工夫しながら地元と一緒に生きてきた。コロナ禍でも通販をしたり、ドライブスルーで販売したりしながら何とか堪えている。きっと乗り越えられると思うんですよ」

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