北朝鮮は従来、対米関係で様々な談話を出す役割を崔善姫(チェソンヒ)第1外務次官に任せてきた。崔氏も昨年12月の談話で、トランプ氏を「老いぼれのもうろく」と批判。金与正氏が対南関係を担当するのは、組織的な役割分担とも言える。正恩氏を温存することで、可能性が少ないとはいえ南北関係が万一、改善する場合に備えているとも言える。

 そして、第3に守らなければいけないもの、それは金正恩氏の健康だ。春ごろから、金正恩氏の公開活動のペースは、20日に1度程度にまで激減している。最近公開された写真には、正恩氏の右腕に小さな茶色い点が写っていたが、日米韓は、糖尿病の悪化に伴い、腎臓透析を始めた兆候の可能性があるとみて注目している。透析をする場合、動脈と静脈のバイパス手術が必要になり、手首に4~5センチの傷が残る場合が多いからだ。

 金与正氏は4月、正式に党政治局員候補に復活。兄、金正恩氏の業務を減らすと同時に、万が一、正恩氏の健康に異変が生じたときにすぐに対応できるよう、常にそばにいられる名分をつくったと言える。だからと言って、金与正氏が正恩氏の後継者に指名を受けたわけではない。5月1日の公開行事でも、与正氏は正恩氏にテープカットのハサミを差し出した。6月の政治局会議でも他の出席者と同様に、正恩氏の発言を一心にメモしていた。与正氏は有力な後継者候補だが、正恩氏も後継指名すれば、自分から権力が離れることを十分理解している。

 今、正恩氏と与正氏兄妹を取り巻く環境は厳しい。韓国で人命被害が出てしまえば、北朝鮮もただでは済まない。北朝鮮は23日、党中央軍事委員会予備会議を開き、韓国に対する軍事計画の保留を決めた。これまでの挑発で韓国が動揺しているという判断もある一方、切れる挑発カードがそれほど多くないという実情も反映している。与正氏が必死に守ってきたものがすべて水泡に帰すことになる。与正氏の言葉が激しくなればなるほど、悲鳴に似た響きも帯びることになるだろう。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)

AERA 2020年7月6日号より抜粋