2010年代前半は奇しくも東京から20代の若いアーティストたちが次世代の扉を開けるべく存在感を発揮し始めていた頃だ。cero、シャムキャッツ、スカート、ミツメなどといったインディー・バンドたちと肩を並べるように、王舟も東京から新しい息吹を発信し始める。

 王舟がひときわユニークだったのは、シンガー・ソングライターというスタイルの可能性を存分に広げる試みを次々と実現させていった行動力と豊かなアイデアにある。ミュージシャン仲間たちとにぎやかにレコーディングしたかと思えば、たった一人で自宅録音でも作品を作る。ギターの抜群の腕前を生かしたフォーキーなサウンドはもちろん魅力的だし、少し鼻にかかったような色気ある歌声にも心惹かれる。さらに、歌声や素朴な音色に一切頼らないインストゥルメンタルの作品作りにもいとわず着手する。また、NHKのテレビドラマの音楽を手がける一方、長く懇意にしてきたバンド、シャムキャッツのアルバムをプロデュースするような“裏方”的仕事もして、引き出しの多さを発揮することがしばしばだ。

 歴史への敬意を前提にしつつも、安易な普遍性には常に疑問を投げかけるかのようにトライし続ける姿は、純文学への愛着を持ちつつも、そこに一定のメスを入れようとするポスト・モダン文学のようでもある。バンドでの録音と自宅録音とを合流させた昨年の「Big Fish」というアルバムは、寡黙にも果敢に攻めるアーティスト王舟の集大成的な作品だった。

 王舟は4月1日から新曲を「バンドキャンプ」で少しずつ公開。それらをまとめ、デジタルのみでリリースしたのが「Pulchra Ondo」というわけだ。

 一聴するとステイホーム期間中の王舟が綴ったドキュメントのような作品ではある。だが、聴けば聴くほどこの作品の主役は、王舟自身というより、彼の目に映る風景、情景のように思えるのだ。

 ほとんど誰とも会わない状況を反映させたかのように、このアルバムには言葉がない。12曲すべてがインスト。しかも映画音楽や劇伴のように3分に満たない小品ばかりだ。だが、これまでのどの作品よりも、ある種の雄弁さが表出した1枚になっている。

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