辻田真佐憲(つじた・まさのり)/1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビューなどを幅広く手がける。著書多数(撮影/写真部・加藤夏子)
辻田真佐憲(つじた・まさのり)/1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビューなどを幅広く手がける。著書多数(撮影/写真部・加藤夏子)

 AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。「書店員さんオススメの一冊」では、売り場を預かる各書店の担当者がイチオシの作品を挙げています。

 軍歌からオリンピック・マーチ、甲子園の大会歌まで、組織や思想の違いと無関係に、5千曲を生み出し続けた昭和のヒットメーカー、古関裕而。『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』では、その生涯を昭和という時代から読み解く。著者である辻田真佐憲さんに、同著に込めた思いを聞いた。

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<どの国や文明にも、永遠に参照されるべき黄金時代がある(略)日本の黄金時代は昭和といってまちがいない>と辻田真佐憲さん(35)は書く。

 特筆すべき「日本の黄金時代」に、レコード歌謡、軍歌、映画音楽から社歌まで、人々が望むあらゆる音楽を手掛けた作曲家がいた。古関裕而(ゆうじ)──現在、放送中の朝ドラ「エール」のモデルとなった人物だ。

「古関の仕事の特徴は途方もない幅広さで、生涯に5千曲を作ったと言われています。独学で音楽を学び、上京してコロムビアと契約しましたが、なかなかヒットに恵まれなかった。売れずに苦しんだ時代があり、作曲家として波に乗ってきたところで、盧溝橋(ろこうきょう)事件が起こります。戦時中は『軍歌の覇王』と呼ばれる存在になりました」

「勝って来るぞと、勇ましく」で始まる「露営の歌」を記憶している読者は多いだろう。古関の代表作となった作品だ。

「一昔前だったら、軍歌を作っていた古関に対して『戦争犯罪だ』と、批判して終わりだったでしょう。ところが昨今の日本の状況では、自分が同じ立場に置かれたらどうするかを突きつけられます。愛国ビジネスをやればお金が入るという現実が目の前にあったら、どうするのか。古関の場合は、一人の作曲家が懸命に生きようとすると、どうしても軍歌につながってしまうという、時代の不幸もありました」

 執筆しながら「今につながる視点、読者が古関の身の上に起こった出来事を、我が事として考えてもらえるようなフックを埋め込むように書いた」という。確かに、当時の空気が生き生きと伝わってくる。

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