当時の科学者たちは考えた。外敵が侵入してきた後、その外敵の表面構造を鋳型として、それに相補的に結合する抗体が適応的に形成されるのではないか。これは一見、合理的なメカニズムに見えた。が、事実と合致しない点が多かった。

 まず、これは泥棒が入ってきてから縄をなう、いわゆる“泥縄”戦法だ。外敵に対していちいちこんなことをやっていては後手後手に回って、外敵の増殖を許してしまう。が、実際には免疫システムはかなりすばやく防御を開始する。

 もうひとつはより本質的な問題だった。

 抗体はタンパク質でできている。すべてのタンパク質はゲノムDNAにそのアミノ酸配列が記録されている。ゲノムDNAは遺伝的に父母から受け継いだものだから、自分が生まれ出た後、どんな未知の外敵に出会うことになるのか、あらかじめ察知することはできない。つまり外敵と遭遇したあと、それに応じて新しいタンパク質を生み出すことは原理的にできない。

 では、あらかじめ用意しておけばよいのか。ここにも問題があった。

 私たちヒトは、異なった結合能力を持つ、100万通り以上の抗体を用意している。しかし、ヒトのゲノムに記録されているタンパク質の種類はおよそ2万なので(この数値は21世紀になってゲノム計画が完成してからわかったのだが)、当時の推計から考えても全然、数のレンジが合わない。どうやって100万種類もの抗体タンパク質が、限られた数の遺伝子しかコードしていないゲノムから生み出されるのか。

 この謎を解いたのが、日本人として初めてノーベル生理医学賞を受賞した利根川進の発見だった。

○福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『ナチュラリスト―生命を愛でる人―』『フェルメール 隠された次元』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。

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福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『ナチュラリスト―生命を愛でる人―』『フェルメール 隠された次元』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。

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