<早紀江さん> あの苦しみの中で、聖書に巡りあったんです。なんでこんな目に遭わなきゃいけないのかと、悲しくて、死にたい思いでした。そんな時にクリスチャンの友達が、読んでみてと言って持ってきて下さったんです。読むと、ああそうかと。人間というのは、どんなに立派に見えても、心の中って見えない。何を考えているのかとか。そこを掘り下げていくんです。祈りというのは、形には見えないけれど、すごく深い。自分というものがどんなものか、掘り下げると、わかってくるんです。自分がどれほど小さな存在なのかも。心の平安も得られます。神様は何もかもご存じですから。

 週に一度の礼拝は休みませんでしたが、日曜日が集会などで忙しくなって、この1年は行けなくなって。いまは行ける時に近くの教会でお祈りしています。

――滋さんは?

<早紀江さん> 全然。神様を迫害してばかりです(笑い)。信じられないといって。

<滋さん> 子どもの教育なんかでも、私は、あまりしかりませんでした。でも家内は、しかった方がいいと言ってましたし、そこは違いますね。

<早紀江さん> 甘やかす一方。めちゃめちゃに可愛がる方で。

――めぐみさんは、大変なお父さん子だったそうですね。
 
<早紀江さん> そうですね。大事に大事にしてましたから。

――めぐみさんからプレゼントされた櫛を、滋さんはいまもお持ちなんですか。

<滋さん> 携帯用の鞄に入れてあるんです。

<早紀江さん> ボロボロになりましたけど、出かけるときは必ず鞄の中に入れてますね。

――めぐみさんが生きていたら、北朝鮮の影響を相当受けているのではないでしょうか。

<滋さん> そうでないと生きていけないわけですから。帰国した方の言葉だったか、日本は我々を見捨てたと思っていたのが、帰国の専用機の窓から下を見ると、たくさんの人がいて、これは我々をだますためのサクラではないかと思ったけれども、地元でも大歓迎してくれた。

 それでも北朝鮮を出るときは不安だったと言いますから。でもめぐみは、年も若いし……。

<早紀江さん> それは、いくら想像しても、どうにもなりません。何よりまず、めぐみを捜しているわけですから。駄目なら駄目で、その時は本当に、仕方がない。DNA鑑定などで調べて、間違いなければ、これはもう現実だから……。わからない先のことを、いくら考えたって、仕方がないわけですから。

 (文/北朝鮮取材班 週刊誌「AERA」2003年7月28日号掲載)