会見する横田滋さん(左)と早紀江さん=2014年(c)朝日新聞社
会見する横田滋さん(左)と早紀江さん=2014年(c)朝日新聞社

「めぐみちゃんに一目会いたい」。そう強く信じ続けた父の思いは届かなかった。

【写真】めぐみさんが愛用していた人形も公開された

 拉致被害者・横田めぐみさんの父、滋さんが5日、87歳で亡くなった。1977年、めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから43年。妻の早紀江さん(84)とともに拉致問題解決を訴える家族の会の初代代表を務めるなど中心的な存在だった。

 2002年9月17日に開かれた日朝首脳会談では、北朝鮮が拉致被害者のうち、めぐみさんを含む8人が国内で死亡したと発表。週刊誌「AERA」は、約1年後の03年7月28日号で、横田滋さん・早紀江さん夫妻を2時間にわたってインタビューしていた。進展しない拉致問題、誠意を示そうとしない北朝鮮――。ここでは、当時の夫妻の言葉を再掲する。

*  *  *

<早紀江さん> この1年、小説でもこう書けるだろうかと不思議に思うことばかりですね。

<滋さん> あれから1年といっても、めぐみはそれまでに(拉致されてからの)25年という歳月があるわけですから……。

――横田夫妻について、いまさら説明する必要はあるまい。13歳で北朝鮮工作員の手で拉致され、去年9月17日の日朝首脳会談で、「死亡」と北朝鮮側が発表した横田めぐみさんの両親である。

「いずれ人は、みな、死んでいきます。(めぐみは)本当に濃厚な足跡を残していったのではないかということで、(中略)皆さまとともに闘ってまいります。まだ生きていることを信じて闘ってまいります。めぐみを愛してくださった皆さまに心から感謝します」

 その日、記者会見で早紀江さんが口にした言葉は、聞く者の心を突き刺した。
 
<早紀江さん> 私自身は、特別なことを言う意識などなくて。ただものすごく腹が立っていたんです。こっちが何か言うと、向こう(北朝鮮)はそれを見てると聞いてますから。こっちがやられた姿を見せれば、向こうは「しめた」と思うに違いない。どことなくそんな思いがあって、何か言わないと駄目だという不思議なものが勝手にあふれてきたんです。

<滋さん> あれは、めぐみが死んだと認めたような発言でもあったんですけど。

<早紀江さん> 認めてはいません。絶対に生きていると思ったけど。だから支離滅裂。何を言ったかわからないんだから。

<滋さん> それまで、拉致されたのは間違いないと思っていても、1%ぐらいは……。証拠がなかったですから。でも北朝鮮が認めただけでなく、(孫の)キム・ヘギョンさんまで現れたわけで、確信をもって語ることができるようになりました。

――(97年にめぐみさん目撃を証言した)北朝鮮元工作員の安明進(アンミョンジン)氏が、めぐみさんは金正日(キムジョンイル)総書記の息子の日本語の家庭教師をしていると語りましたが。

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「いつまでも生殺し」だった