本田圭佑(ほんだ・けいすけ)/1986年生まれ。プロサッカー選手。世界74カ所でサッカースクール、クラブを運営(オンライン取材中の一場面)
本田圭佑(ほんだ・けいすけ)/1986年生まれ。プロサッカー選手。世界74カ所でサッカースクール、クラブを運営(オンライン取材中の一場面)
昨年3月に来日した時の本田(左)。現在はブラジル1部・ボタフォゴに所属。オーバーエイジ枠で東京五輪出場を目指している (c)朝日新聞社
昨年3月に来日した時の本田(左)。現在はブラジル1部・ボタフォゴに所属。オーバーエイジ枠で東京五輪出場を目指している (c)朝日新聞社

 プロサッカー選手の本田圭佑(33)が、ネスレ日本元CEOの高岡浩三(60)、ヘルスケアベンチャーFiNC Technologies創業者の溝口勇児(35)と、21世紀型の課題解決に挑むファンド「WEIN(ウェイン)挑戦者FUND」を立ち上げた。WEINはウェルビーイング(健康や幸福)とリンクをかけた造語だ。ウェルビーイングの分野で、国内スタートアップ投資、事業の創造、大企業などとの共同事業に取り組むという。掲げたテーマは「挑戦者を支援し、自らも挑戦する」。

【写真】昨年3月に来日した時の本田

「挑戦」は本田を表すキーワードだ。第一線でプレーを続けながら、サッカー指導者、経営者、投資家の顔も持つ。本田圭佑にとって、「挑戦」とは何か。AERA 2020年6月8日号では、本田圭佑が仲間と立ち上げたファンドや自らの夢について語った。

*  *  *

 環境が変わり続ける世の中に順応していく、イコール挑戦だと思います。生きるためには挑戦し続けなければならない。でもそれ以上に、僕は挑戦していたほうが幸せです。挑戦者でいること、変化し続けること、変化に挑戦し続けることに、生きがいを感じます。挑戦は自分らしくあるためのテーマ。僕自身、たくさん失敗しました。でも、結果はやってみないとわからない。だからまずはやってみようと思うし、挑戦と失敗への考え方はセットです。

 僕の挑戦の原点は、幼いころに見た白黒のビデオです。ブラジルのペレという選手を取り上げたものを見て「ワールドカップ(W杯)優勝」に憧れ、サッカーを始めた。当時から、何の根拠もなく「W杯で優勝する」と言っていました。子どもにはデカすぎる夢ですが、その夢のおかげでチャレンジする習慣が身に付いたと思います。デカすぎる夢だからこそミスは怖くないし、取捨選択もできない。やってみるしかなかったんです。

 自分を変えた言葉もたくさんあります。「人と同じことをやったらあかん」とか、「2番はベタと一緒」とか、「人より努力するのは当たり前で、そこから先、自分でどう考えるか」とか。全部父親から教えられたことです。大叔父(本田大三郎)の存在も大きかった。カヌーでオリンピックにも出た人ですが、ある日、大阪の僕の家にフラッとやってきて言ったことが、僕の人生を変えるフレーズになりました。「サッカーノートを毎日つけなさい。ノートが山になるころにはお前はプロになっている」。そのときからプロ入りするまで、僕は一日も欠かさず、その日のプレーを細かく記録しました。こういう大事なフレーズは、誰にでもあると思うんです。

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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