だが、これは単に未収録曲、未発表曲を寄せ集めただけの作品ではない。もちろん、急激に世の中が変化していく今の状況に対して、音楽の現場でフットワーク軽く対応した、その行動力が何より説得力を持つ1枚ではある。一方、こういう主張もこの作品から感じ取れるのではないだろうか。「音楽は完成したら終わりというわけではない、時間を置けば全く違う意味を持つこともある」

 それは音楽を「熟成させることの大切さ」なのかもしれない。

 90年代半ばに京都の立命館大学の学生たちで結成した「くるり」は、間断なく活動を続ける中で、作品や曲ごとに全く異なるアレンジや作り方を試みてきた、新しいことに果敢に挑戦するバンドというイメージがある。近年は故郷・京都市で再び生活するようになった岸田が、地元の京都市交響楽団と組んでオリジナルのシンフォニーを作曲。Eテレの子ども向け番組『みいつけた!』の新たなエンディング曲「ドンじゅらりん」を作詞作曲したことも話題になった。40代に入ってもなお勢力的にトライし続ける様子は、中堅からベテランの域に差し掛かってきたバンドとして、驚くほど刺激的だ。

 けれど一方で、過去のキャリアやこれまでに残してきた曲を葬り去るのではなく、あくまでも今の自分たちと地続きであるということを常に意識したバンドでもある。新たな挑戦をしても活動の原点であるロックというフォルム、スタイルにずっとこだわり続ける姿勢は高く評価されてきた。録音やアレンジで未知の領域に踏み込んでも、活動当初から変わらぬ親しみやすいメロディーや曲構成を決して捨て去らないという一貫性により、世代を越えて多くのリスナーを獲得してきた。

 とはいえ、「変わらないことの美学」をただ貫いているわけではない。昔の曲も「変わる」のだ。大豆が時間をかけて発酵し納豆になっていくように、別のものになっていく。時間の経過とともに変化していく事実を楽しみ、愛でる感覚。それは加齢とともにヒューマンになったり、若い頃にはなかった深みが備わったりすることがあるという人間の在り方に似ている。

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