井上鑑/Pヴァイン提供
井上鑑/Pヴァイン提供
リイシュー『カルサヴィーナ』/Pヴァイン提供
リイシュー『カルサヴィーナ』/Pヴァイン提供

 1981年に大ヒットした寺尾聰の「ルビーの指環」。もしかすると、その曲のクレジットで初めて「その人」の名前を見た、という人が多いかもしれない。筆者も中学生当時、テレビの歌番組などでこの曲をとても気に入り、曲が収録されたアルバム『Reflections』を購入。その時に編曲者として、「その人」の存在を認識した。あるいは2000年代以降では、福山雅治のアルバムやツアーを通じて、その功績に辿り着いたリスナーもいるかもしれない。

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 「その人」こそ、井上鑑(いのうえ・あきら)だ。主に70年代以降、日本の音楽シーンを支えてきた最重要人物の一人だ。その井上が84年11月にリリースしたものの、近年まで長きにわたり入手困難だった作品『カルサヴィーナ』がこのほど、世界初CD化されて静かな話題を集めている。

 “世界初”と書いたのは他でもない、井上鑑は言わずと知れた国際的アーティストだからだ。もちろんキャリアの序盤は国内シーンが中心だった。53年東京生まれの井上は、桐朋学園大学音楽学部作曲科在学中から活動を開始。ピンクレディーのツアーや演奏に、キーボード奏者として参加していた。そんな時代を経て、敏腕スタジオミュージシャンたちによるユニット「パラシュート」の一員としてアルバムを発表。そして81年2月に発売された寺尾聰のシングル「ルビーの指環」のアレンジを手がけ、大ヒットとなったことから一躍注目を集めるようになり、その年の秋に同じ東芝EMI(当時)からシングル「GRAVITATIONS」でソロ・デビューした。

 ここからアレンジャー、コンポーザー、プロデューサーの仕事が増え、アルフィー、エコーズ、杏里といった人気アーティストの多くの作品に関わった(この時代の井上の仕事で、改めて注目したいのは大滝詠一の『NIAGARA SONGBOOK』シリーズだろう)。一方、杏里の制作現場で知り合ったというギタリストのデヴィッド・ローズと親交を結び、イギリスにも拠点を置いたことから、自身の創作活動にも一層積極的に向き合っていった。この時期に井上が海外でレコーディングした作品は多いが、89年にデヴィッド・ローズと共同名義で発表した『HEADS, HANDS, AND FEET』は、ジェネシスを経てソロで活躍していたピーター・ガブリエルのスタジオ「リアル・ワールド」で録音されたものだ。海外音楽祭への出演やライヴも80年代以降は多く、近年はモンゴルのアーティストの作品などもプロデュースしている。

 そうした経歴もあってか、アメリカの音楽好きな知人に井上鑑について聞くと、「日本を代表するエレクトリック・ジャズやフュージョンのアーティスト」という認識だった。そのためか「82年に発表された最初のソロ・アルバム『PROPHETIC DREAM(予言者の夢)』のオリジナル・レコードが手に入らないか」と相談されることもしばしばだ。これまでの作品のいくつかは現在、Apple MusicやSpotifyといったサブスクリプション・サービスを通じて、世界中で手軽に聴くことができる。だが、特に近年は日本の70~80年代の環境音楽、AOR、フュージョン、ニューエイジといった音楽が、世界的に再評価されている(本連載でも、米グラミー賞にノミネートされた日本の環境音楽のアルバムはどんな音楽か、について書いたことがあるhttps://dot.asahi.com/aera/2019112600013.html)こともあり、井上の仕事も改めて注目を集めている。

 もっとも井上の当時の作品の多くは、純然たる音楽作品の範疇に収まるものではなかった。このほど再発売された『カルサヴィーナ』は、当時のニュー・アカデミズムの風潮を受けていた冬樹社から、カセットブックという形態でリリースされた。この冬樹社のカセットブック・シリーズ「SEED」は他に、細野晴臣『花に水』やムーンライダーズ『マニア・マニエラ』、南佳孝『昨日のつづき』などがある。先鋭的なミュージシャンたちはこうしたユニークなパッケージによる発売を、楽しんでいたところもあったように思う。

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岡村詩野

岡村詩野

岡村詩野(おかむら・しの)/1967年、東京都生まれ。音楽評論家。音楽メディア『TURN』編集長/プロデューサー。「ミュージック・マガジン」「VOGUE NIPPON」など多数のメディアで執筆中。京都精華大学非常勤講師、ラジオ番組「Imaginary Line」(FM京都)パーソナリティー、音楽ライター講座(オトトイの学校)講師も務める

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