これまで無駄なお金を削って効率化をはかるというお題目で、病院を統廃合したり、病棟を減らしたりして、医療現場はすでに人手不足の状態にあったのです。そこを狙ったようにコロナが襲ってきた。誰もがウイルスに感染する可能性があります。ジョンソン首相だって罹患したわけですから。感染症はそういうものだからこそ、いろんな階層の人が自分事として考える。このことは後の社会に生かさないといけません。

――ブレイディさんの著書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』にも登場する「シティズンシップ・エデュケーション(市民教育)」というカリキュラム。イギリスでは中学生になると、このカリキュラムを通じて法や政治の仕組みだけでなく、レイシズムやテロ、LGBTQといった社会テーマなどを徹底的に議論する。

 この取り組みは、ブレア首相の労働党政権のときにカリキュラムの中に入ったものです。その教育を受けた人たちがいま有権者となり行動することで、世の中が昔とは違う方向性を見せてきていると思う。いま環境問題など、若い世代が政治に目覚めていると言われているのも教育の素地があるからです。

 根本的に社会を変えたいと思うなら、10年先、20年先を見据えて教育を変えていかないといけません。それこそ息子の学校の校長先生がコロナ禍について発した言葉みたいなことって子どもたちの心に残ると思うし、考えるきっかけを与えると思うんです。そういう教育をやっていくことが未来につながる。いま日本が淀んでいるのだとするなら、きっとそれは20年前に淀みを取る種をまかなかったから。長期的な視点で地道な教育の改革を行えば、20年後に社会は必ず変わっているはずです。

(構成/編集部・三島恵美子)

AERA 2020年5月4日-11日号より抜粋