実際に、会議では「あの映画のあの場面がこう面白かった」という志村さんの一言が起点になって、コントが組み立てられていくこともあったし、志村さんが両目を真ん中に寄せるリアクションの表情や「だっふんだ」「すびばせんねえ」といったフレーズには、枝雀さんの影響が感じられた。

 それから約10年後、雑誌のインタビューで私が聞き手となって再会した時には、穏やかな表情で、影響を受けた笑いの先人たちについて語ってくれたものだ。「加トケン」の会議で志村さんが話した映画について、「あれ、何ていう題名だっけ?」と逆に聞かれたりもした。

 志村さんのコントは、人間の持つ普遍的で滑稽な部分を演技で拡大して見せるものが多かった。酔っ払いにしても、お婆さんにしても、スケベなオヤジにしても、「こういう人って、いるよなあ」と思わせるように演じていた。しゃべりの発想で笑わせる芸人が多い中で、動きや表情、心理描写によるナンセンスな笑いにこだわり続けた。

 だからこそ、志村さんの笑いは世代を超えて愛されたし、言語を超えて海外でも人気だった。今、40年前のコントを見ても、古さを感じさせず、爆笑してしまう。

 これほど長い間、常に第一線で、これだけ多くの笑いを生み続けた喜劇人は、他に思いあたらない。志村さんの遺したコントの数々が、これからも多くの人々に愛され続けていくのは間違いないだろう。(寄稿)

AERA 2020年4月13日号