言葉の芸は、演者同士の関係値、笑いの文脈が分かっていないとちっとも面白くない。この頃から、日本の笑いの内需だけが拡大し、子どもや外国人には通用しない笑いが、テレビで量産された。それはそれで、最高に面白かったけど。

 今、志村さんがいなくなって、じゃあ、どっちのお笑いが普遍的で面白いかと立ち止まって考えてみると、それは志村さんが確立した今や「古典」とさえ言われるロジカルなお笑いに決まっている。

 僕は今のお笑い界はラーメン業界とよく似ていると思っている。いつの頃からか、ラーメンはどの店もおいしくなった。過当競争の末のサービス合戦。炙りチャーシューがどうの、ダブルスープがどうの。もう、ありとあらゆる種類のラーメンが登場して、みんな食べる前からお腹いっぱい。そんな気分だ。

 だからこそ、町中華の何気ない醤油ラーメンが、懐かしく、しみじみおいしいって思うことがある。志村さんという稀代のコメディアンを失って初めて、その普遍的な存在の「尊さ」に僕は圧倒されるのだった。

(構成/編集部・中原一歩)

AERA 2020年4月13日号