老朽化した鉄製の窓枠は錆びて反り返り、外壁のレンガも所々?げ落ちている。保存・活用と安全確保をどう両立させるか。大きな課題だ(撮影/ノンフィクション作家・高瀬毅)
老朽化した鉄製の窓枠は錆びて反り返り、外壁のレンガも所々?げ落ちている。保存・活用と安全確保をどう両立させるか。大きな課題だ(撮影/ノンフィクション作家・高瀬毅)
陸軍墓地のある比治山から被服支廠を望む。その向こうは瀬戸内海。兵器、食料とともに軍服、軍靴などが宇品港から戦地へと輸送された(撮影/ノンフィクション作家・高瀬毅)
陸軍墓地のある比治山から被服支廠を望む。その向こうは瀬戸内海。兵器、食料とともに軍服、軍靴などが宇品港から戦地へと輸送された(撮影/ノンフィクション作家・高瀬毅)

 広島市に残る旧日本陸軍被服支廠(ししょう)、通称「赤レンガ倉庫」の解体を止めようと、人々が声をあげている。「L」字形に配置された赤レンガ造りの4棟の建物は、服や靴などを製造、調達、貯蔵していた軍需施設で、被爆建物でもある。補強に莫大な費用がかかるなど課題は多いが、圧倒的な存在感で「軍都広島」の歴史を伝える建物の保存を望む声は、若い世代からもあがっている。AERA 2020年4月6日号では、県の解体案に反対する人々にその思いを聞いた。

【写真】赤レンガ倉庫の眺望がこちら

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 平和を考え、戦争の愚かしさを伝えていく上で、「そのスケールが欠かせない」と、市民団体や被爆者団体、さらには建物に関心をもつ一般市民も解体案に反対の声を上げた。自民党や公明党の国会議員からも保存を望む声が上がった。映画「この世界の片隅に」の片渕須直監督(59)も現場を訪れ、「長い歴史の一部を、今壊してしまう恐ろしさについて考えてほしい」と、全棟保存を訴える。

 若い世代も強い関心をもっている。広島市に住む福岡奈織さん(27)と呉市の瀬戸麻由さん(28)。被爆3世の2人は2017年から、被爆遺構を見て歩くツーリズムイベントを企画、運営してきた。解体案が明らかになってからの2人の行動は早かった。全棟保存を求めて、インターネットで署名活動を開始。賛同者は2カ月間で2万2千人に上った。県が行ったパブリックコメントでも3棟保存の声が約6割に達した。福岡さんは、現場のもつ力を力説する。

「旧被服支廠の規模感と、L字に配置された場所に立つことで感じる力がある。被服支廠を通して広島が軍都と言われる意味が初めて腑に落ちたんです」

 というのも、周辺には被服支廠だけでなく、兵器、弾薬などの購買・貯蔵施設である兵器支廠、兵士や軍馬の食料の製造・貯蔵を担う糧秣(りょうまつ)支廠もあったからだ。各支廠から兵器や物資が鉄道で市南端の宇品港へと運ばれ、船舶で戦地へ輸送された。広島には日清戦争で一時大本営が置かれたことがあるが、兵站(へいたん)の一大拠点だったことは、平和教育でも教わらない。

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