広津は「安価じゃなければ意味がない」と価格づけにもこだわった。定価は、全身のがんを1度で調べられて、税抜きで「9800円」。ベンチャー起業家には、ゴールを株式新規公開後の株式売却に置き、儲(もう)け主義に走るケースも少なくない。他にない技術を使うのだから、5万円や10万円の検査として世に売り出すことだって出来たはずだ。

「頭の中にあるのは『技術を広げること』。私は科学者だから、そこはブレない。『これくらいなら受けたい』という価格帯を、私が直接何百人にもヒアリングして割り出し、ぎりぎりまで安価に設定した。もし、コストから試算して利益を優先したら、とてもこの価格にはできないですよ」(広津) 

 広津自身も驚いたのは、この検査に対する注目度の高さだ。「健診のメニューに加えたい」と、企業や病院から数百件の問い合わせが入り、予約は1年以上待ちの状態だ。

 広津は、会社を起こしてわずか3年半で、この検査を実用化へと導いた。今はロマンスグレーの前髪を上げて経営者然としているが、実は線虫の研究歴が20年以上になる、基礎研究者なのだ。以前は、「縮れ毛を無理やり伸ばして前髪を垂らす、ボサッとヘアの研究者だった」と打ち明ける。

 これまで日本にはいなかったタイプの理系博士起業家である。「ネイチャー」と「サイエンス」というトップジャーナルに論文掲載経験があり、実験室の片隅で行っていた線虫研究を発展させ、「生物診断」という新しいコンセプトのがん検査技術を着想。論文投稿、起業、臨床研究、実用化と、壁をくぐり抜けてきた。「基礎研究者は経営に向かない」という通説をも打ち破る。

「ベンチャーの成長スピードが桁違いに速かったのは、リスクを背負った科学者本人が矢面に立ち、舵取りをしてきたからこそ。公金でノーリスクの環境に身を置いて研究を続けていたら、このスピード感というのは絶対に出せなかった」

 こんな言葉に、広津の覚悟がにじむ。

 創業メンバーの榊原直樹(58)は、広津の経営センスをこう評価する。

「彼が大胆だなと思うのは、増資もまだこれからだっていう時でも、どんどん研究者を雇うんです。うちは社員の7割が研究者で、博士号取得者も多い。あれ? コスト的に大丈夫かな?って。実際、広津と2人で、0の桁が減っていく貯金通帳をにらんでいた時期もあってね。でも彼は、『技術自体は確立しているし、しっかり臨床研究さえやれば、さらに信用につながるんだ』と、指針が明確。発明者だから、確信を持っているんでしょう」

(文/古川雅子)
                               
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