「絶対この人生から抜け出す」 山崎育三郎を「レミゼ」へ導いた壮絶な過去 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「絶対この人生から抜け出す」 山崎育三郎を「レミゼ」へ導いた壮絶な過去

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坂口さゆりAERA

 ミュージカル界のプリンス、山崎育三郎さんがAERAに登場。舞台にとどまらず、各方面で活躍する山崎さんが、仕事への向き合い方を語った。

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 夢を夢で終わらせず、叶えるためには強靱な意志が必要だ。だが、ミュージカル俳優になるという夢の先にある、「ミュージカルを一人でも多くの人に伝える」ためには、何が必要なのか。

 ミュージカル界のプリンスの活躍の場は、いまやそこだけにとどまらない。忙しく苦労も多いに違いない彼に、困難の乗り越え方を尋ねると、返ってきたのは意外な言葉だった。

「人生の中で一番つらかったのは、高校生の時。当時と比べたら、仕事の忙しさなんて何でもありません」

 高校2年生から約2年間、祖父母を一人で介護した。父は単身赴任中、母は実家の岡山、3人の兄弟も留学などで不在。代われるのは自分だけ。「僕がやるからいいよ」と引き受けたものの、10代の若者には厳しい入浴の介助や失禁の後始末があり、「なんで僕が?」と自問せずにはいられない日々が続いた。

 それでも「いつか『レ・ミゼラブル』で舞台に立つ」と毎日聴き続けたミュージカルナンバーは、全ての役を暗譜で歌えるほどになった。

「絶対に受かってこの人生から抜け出すんだ!」という固い決意のもと、2万人の応募があったといわれる「レミゼ」のオーディションに合格したのが19歳の時。当時世界最年少となるマリウスが誕生した。

「この2年で精神がすごく強くなった。つらい時も、親友が一緒に病院に行ってくれたり車を出してくれたり、周りの人が介護を明るく受け止めてくれて、支えてくれた。だから、僕はマイナスなことを考えるのが嫌い。ポジティブに明るく笑顔でありたいと思っています」

 試練で鍛えられた強い精神と、その一方で培われた柔らかな心。その両輪で、ミュージカルにとどまらない新しい価値を創造し続ける。(フリーランス記者・坂口さゆり)

AERA 2020年3月30日号


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