アフガニスタンに対しては航空攻撃だけでは効果が乏しいため、米国はタリバーンに制圧されていた同国の軍閥を懐柔して「北部同盟」を組織し、首都カブールやタリバーンの本拠だった南部のカンダハルを陥落させ、タリバーン政権は崩壊した。だがタリバーン兵はパキスタン北西部に避難したり、武器を携帯して故郷に帰ったりしたから、タリバーンの勢力が消滅したわけではなかった。

 米国はアフガニスタンに米国帰りの亡命者を中核とした親米政権を作ったが、行政能力は乏しく、外国からの援助資金の横領など腐敗が広がり、国民の不信を招いた。政府軍は17万4千人、国家警察隊は一時は15万7千人に増えたが、脱走兵が多く、警察官も「3分の1は麻薬中毒者やタリバーン」と指導にあたる米軍幹部が嘆く状況だった。

 一方、兵力約6万人と言われるタリバーンは勢力を回復し、05年以後戦闘が激化。今日では現政府の支配地域は国土の約30%と言われる。18年余の戦争で米国民には厭戦気分が高まり、トランプ大統領が2月29日の記者会見で「みなが戦争に疲れている」「米兵を帰還させるときだ」と繰り返すほどになった。

 米国がアフガニスタン政府を排除してタリバーンと和平協定を結び、タリバーン指導者と「遠くない将来に会う」と述べたことは政府軍の士気を一挙に低下させそうだ。今回の和平協定に政府軍は含まれないから、タリバーン軍が政府軍と戦うことは制約されない。いずれ衝突は避けられず、国民は内戦の勝ち馬に乗ろうとし雪崩現象を起こしがちだ。

 米国はアフガニスタン政府への財政支援は当面続ける気配もあるが、いつまで続くか怪しい。ただしタリバーン軍が今後ただちにカブールを制圧、政権を奪還すれば、米軍の全面撤退は中止になる可能性がある。

 ベトナム戦争で、北ベトナムが73年3月の米軍撤退完了後2年近く様子を見て、75年3月から総攻撃に出たように、タリバーンも当分は慎重な行動をとり、一応米国の面目を立てた後に決着を付けるかもしれない。ソ連軍が89年2月にアフガニスタンから撤退を完了した後も、ソ連が擁立したナジブラ政権は92年4月まで、3年の余命を保った。

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