「水の流れを地下に移した川や水路」のことを指す暗渠(あんきょ)。実は渋谷には、渋谷川を筆頭に多くの暗渠が存在する。目まぐるしく変化する渋谷にあって、暗渠は古くからあり続ける稀有な存在と言えそうだ。AERA 2020年3月9日号では、そんな暗渠に思いを馳せ、かつての渋谷川の姿をカレーで再現までした、暗渠研究家の記事を掲載する。
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大岡昇平『幼年』には、大正3年頃の渋谷川を描いた絵が載っている。その絵を、カレーで再現した。一般的な地図とは逆で、南が上になっている。渋谷駅は小松菜の葉で、線路を茎で表した。
忙しくて街に出られないとき、私は家で「暗渠」をつくるが、渋谷川を表現するのは、はじめてだ。
話を戻そう。大岡昇平は、幼少期に渋谷区を転々と越した人物である。渋谷駅至近にあった渋谷第一尋常高等小学校へ入学し、その年の秋に、渋谷川の稲荷橋付近に引っ越したのだそうだ。
駅前には、稲荷橋の名称の由来である「田中稲荷」やその参道、小さな飲食店群、町工場、そして住宅地があった。それらの建物を、パプリカで表した。このうちの一棟が、大岡宅。この中にあった路地を、大岡は故郷と思っているという。
『幼年』では、当時の街並みが実に詳細に、イキイキと描写される。川の上に商家が何軒かあったというので、渋谷川上にチーズをのせ、家屋を配置した。それ以外のチーズは、渋谷川に架かる橋だ。最も左上にあるパプリカは当時材木店。のちに、寺山修司の天井桟敷館となるあたりだ。
大岡は、河上家屋により蓋をされた暗渠状の空間に潜る冒険もしている。木の朽ちた匂い、台所の匂い、便所の匂いがしたそうだ。家の下の水底には、米粒が落ちていた。川の水は澄み、メダカなどが棲んでいた。線路脇に置いた紫タマネギのマリネは、砂利置場だ。かつての渋谷川には複数の砂利採掘場と、そして砂利置場があった。渋谷川は、人びとの営みのすぐそばに、本当にすぐ隣にあったのだ。
描かれた場所の多くは、現在はすっぽり、渋谷駅と東口のロータリーにのみ込まれている。今も渋谷駅を貫通する渋谷川にはきっと、これらの景色の記憶も刻みこまれていることだろう。(暗渠研究家・吉村生)
※AERA 2020年3月9日号