ロンドン五輪で地に落ちた男子柔道のイメージを刷新し、誇りを取り戻そうとしていた矢先、柔道界を揺るがす不祥事が続発。女子日本代表の指導者(当時)による暴力が発覚し、助成金の不正受給や全日本柔道連盟理事(当時)によるわいせつ行為などが明るみに出た。現場責任者として「変わらなければいけない。できることをやらなければ」と危機感を募らせた。

 嵐の中の船出となったが、13年にリオデジャネイロで開かれた世界選手権で3個の金メダルを獲得。代表監督として初めて挑んだ世界大会で、さっそく好結果を出した。翌年の世界選手権では、フランスやジョージアの後塵を拝していた団体戦でも優勝。16年リオ五輪は金二つを獲得し、全階級の選手にメダルを持ち帰らせた。

 日本の柔道選手は、普段は実業団や大学など所属先で稽古を行い、日本代表として集まるのは合宿や国際大会に限られる。短い時間の代表活動では柔道だけに焦点を絞りがちだが、井上監督は「オープンマインド(開かれた心)であってほしい」と呼びかけてきた。

 代表合宿では選手が茶道や書道に触れる機会を設け、泊まりがけで自衛隊の体験入隊も実施。柔道以外のスポーツ観戦や、他競技の選手との積極的な交流も推奨している。昨年末の合宿にはラグビーワールドカップで活躍した日本代表のリーチ・マイケル主将に来てもらい、大舞台に挑む心構えを選手たちに説いてもらった。

 選手が力を発揮するために、細部にもこだわってきた。

 試合前の鑑賞で士気を上げたり、チームの結束を強めたりする「モチベーションビデオ」を監督就任の直後に導入した。大リーグのヤンキースやサッカーのバルセロナ(スペイン)なども採り入れ、スポーツ界で広く活用されている手法だ。個人競技の柔道でも効果があると見込み、力を入れて制作している。

 約5分の動画だが、それぞれの選手用に編集された完全オリジナルの映像で、汗を飛ばして練習する姿、勝利の瞬間、コーチからのメッセージなど、代表スタッフが撮りためた膨大な映像を凝縮。いまではプロの映像編集者の力も借りて、「単なるモチベーションビデオの枠を超えるもの」(代表関係者)をめざしているという。ある代表スタッフは「井上監督の情熱はすごい。こちらも変なものは出せないし、監督が信頼して全てを任せてくれている。そういう環境が組織の結束力につながっているのだと思います」と強調する。

(朝日新聞社・波戸健一)

AERA 2020年3月9日号より抜粋