1999年6月12日、サヨナラ安打を放った新庄剛志選手(右)と笑顔で握手をする阪神・野村克也監督(c)朝日新聞社
1999年6月12日、サヨナラ安打を放った新庄剛志選手(右)と笑顔で握手をする阪神・野村克也監督(c)朝日新聞社
2012年2月、ブルペンで談笑する野村・楽天名誉監督(中央)と星野監督 (c)朝日新聞社
2012年2月、ブルペンで談笑する野村・楽天名誉監督(中央)と星野監督 (c)朝日新聞社

 ぼやきの裏には、底知れぬプロ意識の高さがあった。

【写真】ブルペンで談笑する野村克也さんと星野仙一さんはこちら

 プロ野球歴代2位となる通算3017試合出場などの記録を残し、監督としてもヤクルト阪神楽天などを渡り歩いた野球解説者の野村克也さんが11日死去したことがわかった。84歳だった。

 ノムさんの愛称で親しまれ、現役時代は南海、 ロッテ西武などで捕手を務めた。引退後も独特の語り節で野球業界を評してきた。その裏には、監督として指導しきれなかった選手への後悔もあった。

 2001年、当時監督を務めていた阪神が3年連続の最下位につき、同年12月に監督を辞任。後任の星野仙一監督が選手と結果を出す様子に、「なぜ私を嫌うのか」と苦悩した。

 だが、それでも“野村克也”であり続けた。

 野球への強い思いと「野球に関しては誰よりもよく知っている」というプライドが人々を魅了し、愛された。

 週刊誌「AERA」では、2002年6月3日号で、ノムさんの野球への愛と後悔を取材。選手とどう接すればよいのかを悩む名監督の様子は、人間らしさの表れでもあった。ここでは、当時語っていたノムさんや関係者らの言葉を再掲する。

*  *  *

 汚れちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる……

 いくら洗い流そうとしても、心の芯にどんどん溜まる、言いしれない胸のつかえ。誰もわかってくれないだろうと思いつつ、それでも「私の言い分」を語らずにいられない切なさ。

 5月15日、阪神前監督の野村克也が自著『女房はドーベルマン』出版の記者会見で吐き出した言葉の数々は、「失敗した監督」としては、後悔とも言い訳とも反論ともつかない、いや、そのどれもがない交ぜにされたものだった。

 いくらハッパをかけてもどうにもならなかった藪恵壹(やぶ・けいいち)と今岡誠が今季、見違える活躍を続けていることに、

「……正直言って、非常に裏切られた思いがある。彼ら2人とも監督室に呼んで話したのだが、それが悪かったのかもしれない。今岡には『本当に真剣にやっているのか。ファンに見てもらっていることを意識してプレーしろ』と。それが嫌われたのかな」

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「知将と持ち上げられ、いい気になっていた」