金子の恩師であるハンガリー国立リスト音楽院大学教授のエックハルト・ガーボル(67)は、彼を8歳ごろから知っている。子どものための全国連弾コンクールの審査員として、初めて金子の演奏を聴いたのだ。

「連弾をした仲間とのアンサンブルがよく、芸術的に優れていました。何より音楽に対する情熱が素晴らしくて、将来大物になると思いましたよ」

 2001年にはハンガリーの全国ピアノコンクール/9~11歳の部で優勝。ハンガリーは優れた音楽的な伝統を持ち、教育メソッドも非常にレベルが高い。その中で金子は、普通14歳で入るリスト音楽院大学の特別才能育成コースに11歳で入学を許可された。12歳で祖父母の家を出て13歳からブダペスト市内に独り住まいし、普通の学校とリスト音楽院大学の両方に通った。

「たまたま二つの学校が近かったんです。授業がぶつかる時は学校と交渉して、受ける授業を振り替えてもらったり、リポートにしてもらったり。毎日走って行き来するので昼食を食べる時間もありませんでした。帰宅は午後10時。閉店直前のスーパーで買った食事をとる生活です」

 リスト音楽院大学での生活は充実していた。ハンガリーが誇る作曲家のバルトークやコダーイに直接教えを受けた名教師がずらりと揃い、実技や理論を徹底的に教える。また哲学や文学、歴史、芸術全般のカリキュラムが組まれ、音楽家の土壌を広く耕すことに力を入れていた。金子は教授たちの分厚い教養に圧倒される思いだった。(文/千葉 望)

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