「こういう施設では45分だと足りないですね。心を開いてもらうまでに45分かかります。緑野小学校でやったようなつかみは通じないし、最初からバルトークのような過激な曲を弾くと心を閉じてしまうので、バッハやモーツァルトのような静かな曲から始めます。音楽の原点ですからね。それから僕自身の体験を話すことにしています」

 その体験とはどのようなものだろうか。金子は群馬県高崎市に育った。当時の両親は語学学校経営などの仕事に忙しく、ハンガリーから祖母がやってきて幼い孫の面倒を見ていた。民族音楽の研究家でもあった祖母は、孫にハンガリーの民謡や子どものための音楽をたくさん歌って聴かせてくれた。

 中でも金子の心をとらえたのは、名ピアニストのゾルタン・コチシュが弾くバルトークのピアノ小品集「子どものために」である。2歳で家にあったアップライトピアノを自由に弾き始め、家族旅行でハンガリーに行ったことで、ピアニストになりたいという気持ちが強烈に湧いてきた。その結果、彼は小1で単身ハンガリーへの留学を決意する。自然豊かな地にある祖父母の家に住み、ブダペストにあるバルトーク音楽小学校へ80キロもある道を毎日通う生活が始まった。フン族の大王アッティラから取った「アティラ」というハンガリー名も持った。

 彼はあまり多くを語らないが、3カ月だけ通った日本の学校ではいじめを受けている。金髪碧眼の母は地方都市ではひときわ目立った。髪や目が黒い金子も、目鼻立ちから母の血を引いていることは隠しようがない。ハンガリーでも小5まではいじめらしきものがあった。親元から離れた祖父母との田舎暮らしも楽ではなかった。

「僕が怪我でもしたら、両親から任された祖父母に迷惑がかかりますよね? だから心配させるまいとやんちゃなことはしないようにしていたし、いわゆる反抗期もありませんでした。お互いに気を遣い合って暮らしていたんです。子どもながらアイデンティティーに悩んだこともあります。でも、それがあったから音楽に打ち込めたんだとも思うのです」

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金子が8歳のとき演奏を聴いた恩師が「大物になる」と思った理由