高原さんは農業に取り組むうちに、沖縄でもコーヒー栽培をしている人たちがいることを知った。自身も日ごろからよく飲むコーヒーを作ってみたいという思いが湧いたという。

「『沖縄でもコーヒーを作れるのか』という驚きとともに、将来、ハワイのコナコーヒーのようになったらすごく面白いな、と。新しいものを生み出すことで、地域にスポーツが貢献していく。そういう姿を自分たちで見せたいと思いました」

 全日本コーヒー協会の調査によると、18年の日本人1人当たりの1週間のコーヒー飲用数は10.62杯。1日1杯以上飲む計算だ。それほど身近なコーヒーだが、生産のほとんどは、赤道を中心とした北緯25度と南緯25度の間の「コーヒーベルト」地帯。雨期と乾期がはっきりしているためコーヒー栽培に適している。

 沖縄本島は北緯26度にあり、コーヒーを栽培するにはぎりぎりの北限のあたりに位置する。沖縄でコーヒーを栽培することは決して簡単なことではない。

 ただでさえ経験の浅い農業、知識もないままでは実現への道は厳しい。そこで高原さんが頼ったのが、かつての“繋がり”だった。

 高原さんは、静岡県立清水東高等学校を卒業後、「ジュビロ磐田」に加入した。その当時のメインスポンサーが「ネスレ日本」だった。高原さんはさっそく連絡をとり、コーヒー作りへの思いを伝えたところネスレも協力することになった。

 ネスレは世界の17カ国3万カ所以上の農園でコーヒー生産者へ技術指導、苗木の提供などのサポートをする「ネスカフェ プラン」の取り組みを行っている。沖縄でも、栽培に適したコーヒーの種や栽培技術の提供、作業にあたる選手への人件費などのサポートの話が進んだ。

 ネスレにとっても日本国内では初の取り組み。沖縄の気候や土壌に精通している専門家と繋がる必要があった。そこでタッグを組むこととなったのが、琉球大学農学部の赤嶺光准教授だ。17年、琉球大学と高原さんらで一緒にコーヒーの苗作りが始まった。高原さんは言う。

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