紅野:テストに過剰な期待を抱いてはいけないと、私はずっと言い続けてきました。小論文対策もいき過ぎると、文章や発想がパターン化します。

羽藤:勤務する京都工芸繊維大学の英語入試の自由作文で、まさにそうしたことが起こりました。受験生の多くは、例えば「大学にも制服があった方がよいか」といった類(たぐ)いの出題を想定して、「賛成です。その理由は第1に……、第2に……」と答えるような対策指導を受けています。それで、昨年「メディアは若者の行動にどのような影響を与えるか述べなさい」と出題したら、賛否を問う問題でないのに90%以上の受験生が「賛成か、反対か」で答えてきました。

紅野:私たち教員が入学してきた学生たちに対してまずすることは、自由な発想を得るためにいかにデフォルトの思考フォーマットをはずすかです。頭を柔らかくすることにかなりの時間を費やします。

南風原:本来、自由な発想を表現するための記述式試験が、その内容や、それに対する対策によっては逆の弊害をもたらすことにもなりうるわけです。

──「英語民間試験」と「国語・数学記述式問題」の2本柱の導入が見送られた後、3本目の柱である「主体性評価」に対する疑問や不安の声がさらに高まっています。

紅野:主体性はそもそも測れるものでしょうか。生徒たちは、評価のための「まがいものの主体性」を演じないといけなくなる。私は全ての問題の元凶は、学校教育法の中に「学力の3要素」を書き込んでしまったことにあると思います。

──(1)知識・技能(2)思考力・判断力・表現力(3)主体的に学習に取り組む態度。この三つですね。

南風原:新しい学習指導要領では三つ目の要素に「人間性」まで組み込まれました。

紅野:目標として掲げる分には構わないのですが、学校の教科指導から入試にまでいちいち当てはめようとし、それが足かせになっています。

南風原:学校の先生もどう扱えばいいのかすごく悩んでいます。「判断力が劣る」と評価された生徒は、具体的にどうしたらいいのでしょう。先生も指導のしようがありません。

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