脳科学者の茂木健一郎さんは「学校の教育現場からスマホが排除されるべきとは思いません。でも一方で、スマホを断捨離して初めて育まれる能力もあります」と話す(撮影/写真部・高野楓菜)
脳科学者の茂木健一郎さんは「学校の教育現場からスマホが排除されるべきとは思いません。でも一方で、スマホを断捨離して初めて育まれる能力もあります」と話す(撮影/写真部・高野楓菜)

 センター試験で起きたスマホ使用。不正は当然、許されない。一方で、従来型の試験を疑問視する声もある。試験とスマホのあるべき関係は。 AERA2020年2月3日号で掲載された記事を紹介する。

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《テストなんて全部スマホOKにしちゃえばいいのに。今どきネットで調べれば出てくることを記憶するのに何の意味が?》

 今年で最後とされる大学入試センター試験。今月18日に行われた地理歴史・公民の試験中に受験生がスマホを取り出し、「わからない問題を検索しようとした」不正行為が見つかり、全科目の成績が無効になった。

「カンニングなんて愚かなことを!」が大方の反応かと思いきや、SNSでは冒頭のような声が少なからず見られた。

 作家の乙武洋匡さんは昨年2月、ネット上のコラムで「試験の内容によっては思いきって『スマホの使用を許可する』という手もアリなのではないか」と指摘している。

「スマホは、私たちにとっていわば外付けHDDのようなもの(中略)。内蔵HDD(=自分の脳みそ)に記憶させておくべき情報は、もっとスリム化させていい。これからはスマホで調べられる情報を使って、どんな応用ができるのかといったことに力点が置かれるべきではないか」

 その考え方を危惧する声もある。社会学者で筑波大学教授の土井隆義さんは「試験で知識ではなく、それを応用した創造的な能力を見る。それ自体は悪くない」としつつ、そこに落とし穴もあると指摘する。

 学問には、創造的な能力を育む基盤としての基礎学力もまた必要になる。典型例が語学だ。それには地道に鍛錬を積んでいくしかない。しかし「試験にスマホが使える」ことで、そういった能力の習得がおろそかになる可能性もはらんでいるという。

「スマホのような機器を使いこなして創造的な能力を発揮することも必要でしょうが、そのプラットフォームであるネットやコンピューターの仕組み、それを支えるアルゴリズムなどについても基礎学力として学んでおかないと、その部分がブラックボックス化されてしまい、足をすくわれてしまう危険もある。そこを認識しておくべきです」

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小長光哲郎

小長光哲郎

ライター/AERA編集部 1966年、福岡県北九州市生まれ。月刊誌などの編集者を経て、2019年よりAERA編集部

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