久古さんは大学・社会人を経て2011年にヤクルト入団。15年には貴重な左キラーとしてヤクルト14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。引退後はデロイトトーマツグループに勤務(撮影/写真部・松永卓也)
久古さんは大学・社会人を経て2011年にヤクルト入団。15年には貴重な左キラーとしてヤクルト14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。引退後はデロイトトーマツグループに勤務(撮影/写真部・松永卓也)
松井キラーだった遠山さん。「ワンポイント」で記憶に残るシーンとして1999年6月13日の試合をあげた。現在は浪速高校(大阪)の硬式野球部監督を務める (c)朝日新聞社
松井キラーだった遠山さん。「ワンポイント」で記憶に残るシーンとして1999年6月13日の試合をあげた。現在は浪速高校(大阪)の硬式野球部監督を務める (c)朝日新聞社

 ここぞという場面で、たったひとりのバッターのためにピッチャーを代える。野球のそんな「駆け引き」が、近い将来、見られなくなるかもしれない。AERA2020年2月3日号は、ワンポイント・リリーフとして活躍した投手たちに本音を聞いた。

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 バットが空を切ると、甲子園球場が大歓声で、揺れた。

 1999年6月13日、阪神巨人の大一番。7回表二死三塁の場面で、阪神ベンチは巨人の代打・石井浩郎選手を敬遠、次打者の松井秀喜選手と勝負することを選択した。そのとき、阪神の投手としてマウンドに上がった遠山昭治さん(当時の登録名は奨志、52)はこう振り返る。

「指示を聞いて驚きましたよ。松井くんが怒っているのは顔を見なくても伝わってきました」

 松井選手はその前年、本塁打と打点の2冠王に輝いていて、当時すでに日本最強のスラッガーだった。前打者を敬遠し、あえて松井選手と「左対左」で勝負する。誰もが驚く場面だったが、遠山さんは見事、松井選手を空振り三振に仕留めてピンチを脱した。

 この年、遠山さんは松井選手を13打数ノーヒットと完璧に抑え込んだ。そのほとんどが松井選手ひとり、あるいは1イニング以下でマウンドを降りる、いわゆるショートリリーフだった。

 遠山さんのように、特定の打者を抑えるために登板する投手を「ワンポイント・リリーフ」と呼ぶ。重要な場面で起用されることが多く、投手交代の妙を楽しめる野球の見どころのひとつだ。しかし、いずれそんな場面が見られなくなるかもしれない。米・大リーグ(MLB)は今シーズンから、「投手は最低でも打者3人と対戦するか、イニング終了まで投げなければならない(故障・急病の場合を除く)」という新ルールを導入する。事実上のワンポイント禁止だ。試合時間の短縮を図るのが目的とされる。

 冒頭の場面に照らすと、仮に松井選手を打ち取れなかったり四球を与えたりして次の打者が回ってきても、ピッチャーを交代できない。今のところMLBで導入されるだけで、日本のプロ野球は今後1年かけて検討するという。しかし、これまでも大リーグに追随して日本でもルール改正されるケースが多かったことから、波紋が広がった。

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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久古「仮にこのルールがあったら…」