──近年の曲は、バラード色が強いもの、ジャズのテイストを強く感じるもの、などジャンルを横断していく楽しさがあります。

 もともといろいろなことをごちゃ混ぜにするのが好きで。たとえば料理においても、フレンチとか和食、異なるジャンルのものを混ぜることで新しいものが生まれたりもする。これまでも意識はしていたことですが、今回はより強く表れたのかな、と。「もっと自由でいい」という思いはありました。

 狙っていたわけではないのですが、詞と曲を自分が中心となってつくる機会が訪れたことも、大きかったです。これまでは曲をつくってくださる方がいたこともあり、作曲をしなくてもいい環境だったので、自分の意思を入れる隙があまりなくて。でも、「あれとあれを混ぜてもいいのに」というアイデアは常にありました。

「こうしたものをつくりたい」という0から1の過程で、曲の向かうべきゴールがわかることもある。曲全体が先に見えてくるので、「ジャズはこう」「ロックはこう」という“こうじゃなきゃダメ”という部分がなくなった気はしています。

──例としてすぐに料理の話が挙がりました。日々の生活を大切にされているんですね。

「歌う」という行為自体、身体とダイレクトに結びついていると感じるんです。なにを食べたらこうした声が出て、こういう身体になって、とすべてがつながっていく。なので、食べるもの、身体に入れるものにはどうしても敏感になる。一般的に「健康によい」とされているものがいいというより、「自分にとってよいものは自分にしかわからない」という部分はありますね。

──「Fall」(18年)のMVでは“運命の赤い糸を操る魔女”に扮(ふん)していました。Superflyの新たな一面を見た気がします。

 私自身、とても楽しかったです。もともと日々妄想してしまうところがあって。石が転がっていたら石の気持ちを考え、雪が積もっていたら溶けてどこへ行くのだろう、とその後の物語を考えてしまう。ちょっと生きづらいですけれど(笑)。自分の頭のなかだけで繰り広げていたことが映像となり、目の前で表現される。そんなところにも喜びを感じます。

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