稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
記事に登場する運転手さんは、バスが転落を免れた場所で当時のことを語っていた (c)朝日新聞社
記事に登場する運転手さんは、バスが転落を免れた場所で当時のことを語っていた (c)朝日新聞社

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】崩落した高速道路で間一髪落下を免れたスキーバスの運転手さん

*  *  *

 あのとき神戸に住んでいた者にとって、阪神大震災から25年と言われてもピンとこない。25年というのは長いのだろうか。短いのだろうか。確かに、いまや被災地に住む人の半数以上が震災を知らないと言われると、もうひどく昔のことになったのだと思う。でも自分の中を覗き込むと、あのとき感じたなんとも言えない複雑な怒り、悲しみ、虚しさといった感情はそっくりナマのまま保存されていて、ふと取り出せばほかほかと湯気を立てるのである。

 その落差を「風化」というのかもしれない。人は結局のところ、経験していないことはわからないのだ。だから特異な出来事に見舞われた者は時が経つほど孤独になる。家をなくしたわけでも身内が亡くなったわけでもない私ですら、わかってもらえないことが恐ろしく、震災のことなんて何年も人に話したことはない。正直言えば震災を振り返るニュースも見たくない。わかったような顔をされたくないのだ。こうして自分も風化に加担していると思うと、腹の底の思いは行き場を失い、さらに重く沈んでいく。

 そんな中、ある記事を読んだ。

 崩落した高速道路で間一髪落下を免れたスキーバスの運転手さん。メディアにも取り上げられ、落ちないバスにあやかろうと押しかける人もいた。でもずっと冷めていた。数年前、乗客だった女性から連絡があり喫茶店でコーヒーを飲んだ。深い話をするわけではない。でも互いに元気なのがわかればよかった。「生死は紙一重。それを知らず、自分たちは生きているだけなのだ」と記事は結ばれていた。

 そうなのだと思う。

 生きていることは当たり前じゃない。我々は日々、偶然に支えられて生き残っている。それは一つの奇跡だ。結局のところ、大きな災害が教えてくれるのはそういうことなのだと思う。生きていること自体がすごいこと。そう思って、いやそう思わなくったって、とにかく今日一日を生きる。生き延びる。それだけでいいんじゃないか。生きてさえいれば、私は風化なんてしない。

AERA 2020年1月27日号

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稲垣えみ子

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稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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